彼が振り向いた時、私はもういなかった

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彼が振り向いた時、私はもういなかった

GoodNovel 完結

流産した後、私は一ヶ月間ICUで横たわっていた。 一方、私の夫の藤波時也(ふじなみ ときや)は彼の憧れの人と一緒に各地を旅行していた。 離婚を決意した彼が、ようやく私のことを思い出した。 母に電話をかけ、私がいつまで駄々をこねるつもりなのかと詰問してきた。 瀕死の私を見つめながら、母は心底冷え切った声で言った。 「この子はもう二度と、あなたに駄々をこねることはないわ。満足?」

チャプター (1)

第1章

流産した後、私は一ヶ月間ICUで横たわっていた。 一方、私の夫の藤波時也(ふじなみ ときや)は彼の憧れの人と一緒に各地を旅行していた。 離婚を決意した彼が、ようやく私のことを思い出した。 母に電話をかけ、私がいつまで駄々をこねるつもりなのかと詰問してきた。 瀕死の私を見つめながら、母は心底冷え切った声で言った。 「この子はもう二度と、あなたに駄々をこねることはないわ。満足?」 第1話 私、白石雪乃(しらいし ゆきの)はICUに入院していた。 流産したその日、大量出血と臓器損傷で生命の危機に瀕していたのだ。 笑えることに、私を流産させた張本人は、他でもない私の夫、藤波時也(ふじなみ ときや)だった。 事故が起きたのは、彼の誕生日当日のことだった。 私は彼のためにテーブルいっぱいのご馳走を作り、自分の手でケーキを焼き、部屋を極上にロマンティックに飾り付けていた。 様々なブランド品に加えて、時也のために特別で貴重なプレゼントも用意していた―― 妊娠したのだ。 五年間妊活してやっと授かった命。本当に大切な宝物だ。 この子の誕生は、私たち二人への贈り物であり、破綻していた二人の関係を修復できるきっかけになると信じていた。 だから彼の誕生日を選んで、この嬉しい知らせを伝えようと思ったのだ。 ところが時也は仕事から帰ってくると、大急ぎで着替えて「柚月さんが病院に行ったから付き添いが必要なんだ」とだけ言って、またすぐに出かけようとした。 私は信じられない思いで彼の腕を掴んだ。 「でも、私こんなに準備したのに…… それに、とても大切なプレゼントがあるの……」 時也は冷たく私の手を振り払った。 「雪乃、柚月さんが一人で病院にいるんだ。俺は行かなきゃいけない!」 私の気持ちも一瞬で冷え切った。 椿柚月(つばき ゆづき)が再び現れてから、時也はまるで魂を抜かれたようになっていた。 かつて愛しても手に入らなかった憧れの人は、時也の心の中で唯一無二の地位を持っている。 私は力なく手を下ろした。 「時也、柚月さんってそんなに大切なの? 私より……大切なの?」 時也はうんざりした顔で私を見た。 「こんな時に駄々をこねるのはやめてくれるか? 柚月さんは昔、俺の命を救ってくれたんだ。今、彼女が困ってるのに手助けして何が悪い?」 私と言い争う時間も惜しいとばかりに、彼は先手を打ってきた。 「俺と柚月さんの間に何もやましい事はない。いつもそうやって疑ってばかりで、こんなんじゃもう結婚生活は続けられないぞ」 彼は私を嫌悪の目で見た。まるで仇を見るかのように。 腹が立って、手を伸ばして引き留めようとした。 すると彼は私を突き飛ばし、振り返りもせずにドアを叩きつけて出て行った。 私は踏ん張りきれず、テーブルの角にぶつかり、そのまま床に激しく叩きつけられた。 自分の体が痙攣するのを感じた。無限の苦痛の中、私は恐ろしい闇に飲み込まれていった。 次に目が覚めた時。 気がつくと、私はベッドの脇に立ち、無表情に横たわる自分自身を見下ろしていた―― 人は死にかけた時、執念が魂となって、この世界を傍観するらしい。 全身にチューブを刺された自分を見て、涙も出なかった。 病室の外で一晩で白髪になった母を見た時、胸が引き裂かれるように痛んだ。 これら全てを時也が引き起こしたのだと思うと…… その強烈な無念さが私を導き、時也のそばへと連れて行った。 その時の時也は、別の病院にいた。 彼は柚月の手を握り、心配そうな顔で言っていた。 「安心して、体を休めることだけ考えて。他のことは全部俺に任せて」 柚月は青白い顔で微笑み、弱々しさに甘えて時也の肩に頭を預けた。 「時也さん、あなたがいてくれて本当に良かった。もしあなたがいなかったら、私どうしたらいいか分からなかった……」 柚月が頼ってくれている事を感じ取り、時也は満足そうに笑った。 柚月は時也の傍らに身を寄せ、甘えた声で尋ねた。 「でもあなたがずっとこうやって私に付き添ってくれたら、雪乃さん、嫌な気持ちになるんじゃない?」 「構わないよ」私の名前を聞いた瞬間、時也は一秒で嫌悪の表情に切り替わった。 「しょっちゅう俺に難癖つけて、すぐに俺と柚月さんが怪しいって言いがかりつけて、喧嘩を売ってくる。 こんな生活、誰が続けられる? 最悪、離婚すればいいだけの話さ」 第2話 時也は柚月の点滴が終わるまで付き添い、それから彼女を家まで送った。 見ていて分かった。柚月は時也に帰ってほしくなかったし、時也も帰るつもりはなさそうだった。 彼女は時也の手に触れながらか細い声で言った。 「時也さん、この頃、私すごく気分が沈んでて…… 二、三日したら体調も戻ると思うから、その時になったらどこか一緒に出かけてくれない?」 時也はすぐに労わるような表情を浮かべた。 「もちろんいいよ」 柚月の父親は経営に失敗し、会社が破産を宣告したばかりだった。 落ちぶれた令嬢になった柚月の苦労と辛さを、時也は理解している。 さらに精神的な負担の影響で体調を崩し、あちこちが痛いと訴えている。 時也はそんな柚月の姿を見て、一心に柚月の面倒を見たがった。 「柚月さん、どこへ行きたいか教えて。俺が全部準備するから。 分かるだろ、今の俺には十分な力がある。君をしっかり支えられるんだ」 柚月は嬉しそうな顔を見せた。 「ありがとう、時也さん。あなたがいてくれて本当に良かった」 一方、二人の前に立つ私は、その言葉を聞いて惨めな気持ちで笑った。 時也は仕事が忙しく、結婚した時も新婚旅行すら行かなかった。 結婚してから五年経つが、時也は一度も私を旅行に連れて行くと言ったことがない。 一緒に買い物に行った回数さえ、ほんのわずかだ。 私は彼の大変さを思いやって文句一つ言わず、彼の生活の世話に心を込めてしてきた。 妻としての務めを全て完璧にこなしてきたのに、得たものは時也の冷淡と無関心だけだった。 私も何度か、時也の情熱を取り戻そうと努力したことがある。 だが化粧をしても、綺麗な服を着ても、時也には何の効果も無かった。 なぜなら柚月が現れさえすれば、時也の目には他の誰も映らなくなるからだ。 彼が柚月のことで私の事を、この家の事を放り出すたび、私はいつも彼と気まずくなった。 対して、彼は冷戦で対抗するか、逆に私を物分かりが悪いと貶すかのどちらかしか無かった。 生きている時、私はそれに対して何もできなかった。 今、死にかけている時も、やはり同じだ。 時也は柚月の家で一晩過ごした。同じベッドで寝たわけではないが、二人の間の曖昧な感情はすでに密かに高まっていた。 翌日、私は時也について行った。 普段なら仕事を何より大切にする彼が、勤務中にあちこちに電話をかけて、最も高級な旅行プランを問い合わせている。 ファーストクラスの航空券の予約から、五つ星ホテルの手配まで、細かいことまで全て自分で準備している。 全てを終えた彼は、上機嫌で柚月との旅行の準備を進めている。 彼は私の状況など全く知らず、まるで私という妻がいることすら完全に忘れているようだ。 私の母が病床の傍らで、毎晩私のために泣いている時。 その同じ時間を、私が一生をかけて愛した夫は別の女との人生を楽しんでいる。 二人があらゆる人気観光地を巡り、様々な名物料理を食べ、時也が柚月のために無数の美しい写真を撮るのを、私は見守った。 時也は柚月を尊重しているようだ。夜は必ず別々の部屋で寝る。 慎重に一線を越えないその様子は、彼が柚月を宝物のように大切にしている証拠だ。 柚月の顔に時折浮かぶ甘く幸せそうな笑顔を見ても、私の心は静かで、もう嫉妬など感じない。 なぜなら、この二人には将来がないに決まっている。 二人が一緒になったとしても、幸せにはなれないと分かっている。 時也のように手に入れたものを大切にしない男には、幸せを掴む能力などない。 私は黙って二人を一ヶ月間追いかけた。 一ヶ月後、旅は終わった。 時也は疲れ切った体で、少し休むために家に戻った。 家のドアを開けて彼を迎えたのは、テーブルの上で腐って悪臭を放つ料理の残骸と、床の血痕だった。 部屋中が散らかり、吐き気を催すような腐臭が漂う光景に、潔癖症の時也の顔色が青ざめた。 彼はすぐさまスマホを取り出して私に電話をかけた。 だが彼は気づかなかった。私のスマホはソファの上に置かれたまま、とっくに充電が切れて電源が落ちていることに。 一度かけても繋がらず、二度目、三度目。 四度目に留守番電話に切り替わった後、我慢の限界に達した時也は罵声を浴びせた。 「雪乃!離婚したいならはっきり言え!わざわざこんな風に冷戦なんかする必要がどこにある!? 家をこんな状態にして、どういうつもりだ!俺に文句があるなら今すぐ帰ってこい、その場で離婚してやる!」 第3話 時也に返ってきたのは、冷たい電子音だけだった。 返事が得られず呆然とした時也は、数秒固まった後、苛立ちながらスマホをしまい、再び荒々しくドアを閉めて出て行った。 彼はまた柚月のところへ戻ったのだ。 憧れの人と一緒の旅行とはいえ、一ヶ月間のハードスケジュールで、時也の疲労は隠せなかった。 彼は食事がしたいと言った。柚月は当然のように答えた。 「じゃあ出前を頼むわね。時也さん、何が食べたい?」 時也は、ほんの一瞬だけ嫌そうな表情を浮かべた。 何日も外のレストランや屋台で食べ続けて、時也の胃腸はもう何度も悲鳴を上げていた。 ただ柚月はそんなことに気づかない。 だが時也はすぐに表情を取り繕い、愛おしげに答えた。 「何でもいいよ。君が食べたいものを頼んで」 私には分かっている。時也が今一番食べたいのは、家の炊飯器で炊いたほかほかの白米だ。 それからさっぱりした野菜サラダとあっさりした味噌汁。 時也は薄味好みで、食べられないものが多く、胃腸もとても敏感な人間だ。 この世界で、時也の食の好みを全て覚えているのは私だけだった。 ネギ、生姜、ニンニクが嫌い。ピーナッツ油も苦手。レバーも食べない。魚もかなり苦手。 どの料理はあっさり作るべきか、どの料理は少し濃い味付けにするか。 食事に関する細かいことを、私は全て彼のために把握していた。 以前、時也が連日外で接待した時は、家に帰ると必ず吐いたり下痢をしたりした。 そんな時、私が最もシンプルな家庭料理を出せば、あっという間に彼の胃腸も、気持ちも落ち着かせることができた。 だが時也は、私の労力や心遣いなど気にかけたこともなかった。 彼にとっては、自分が外で稼ぎ、家族を養っているのだから、私が彼の世話をするのは当然のことだった。 もちろん、時也にとっては、柚月が大切にするべき令嬢で、その手はダイヤモンドより貴重なのだ。 彼女が料理ができず、白米が炊けないのも、当たり前のことなのだ。 出前が届くと、私は時也が箸を持ち上げて容器の中を選り分けているのに、なかなか箸をつけないのを見た。 柚月は無邪気に尋ねた。 「時也さん、これ好きじゃないの?」 時也は笑って首を横に振ったが、眉間には失望の色が浮かんでいた。 柚月は鋭く時也の異変を察知し、また尋ねた。 「時也さん、外のインスタ映えする料理って、あんまり好きじゃないみたいね。 どんなものが好きなの?今度から、時也さんの好きなものをたくさん頼むわ」 時也は自分の好みをとても簡単に説明した。 「俺は別に好き嫌いないよ。簡単な野菜付きの料理とか、あっさりした味噌汁とか、そういうのが好きなだけ」 そう言いながら、時也の表情には言葉にできない感情が滲んだが、すぐに消えた。 私は時也に教えてあげたかった。その「簡単な」料理を、作るのは簡単じゃないのだと。 でももう一度考えて、どうでもよくなった。 時也が知ろうと知るまいと、私が彼に心を閉ざした事実は変わらない。 この出前を、時也はほとんど口をつけなかった。 食べ終わると、彼は簡単に容器を片付け、ゴミ袋を持って階下へ降りた。 ゴミを捨てた後、彼はゴミ箱の横に立ち、またスマホを取り出した。 私は彼がまた私の電話にかけようとしているのを見た。 三回連続でかけて、三回とも電源が切れていると表示された後、時也は再び苛立ち始めた。 彼は焦ったように歩き回り、連絡先リストを何度も何度も見返した。 だが彼は私の交友関係を知らない。 仕事を辞めてから、私は以前の同僚たちともほとんど連絡を取っていなかった。 探しても見つからず、時也は最終的に私の母の電話番号にかけた。 ようやく誰かが出たので、彼は感情的になって母を問い詰めた。 「雪乃は一体いつまで俺と揉めるつもりなんですか? 雪乃に伝えてください。こんな風に駄々こね続けるなら、離婚するつもりだと」 第4話 母は以前、この結婚生活の中で私がずっと時也を許し、時也に合わせてきたことを知らなかった。 母を心配させたくなくて、彼女が聞くたびに、私はいつも繰り返し答えていた。 「お母さん、心配しないで。私、とても幸せよ。 時也は私をすごく愛してくれてるから、私に辛い思いなんてさせないわ。 それに、私だって自分が損する真似なんてしないもの」 母はいつも私の言葉を簡単に信じてくれた。 今、この残酷な現実が、母を悲しみのどん底に突き落としていた。 「時也さん!あなたはなんて人間なの!? 自分の奥さんがICUに一ヶ月も横たわってるのに、知らないふりするどころか、彼女が駄々をこねてると言っているなんて!」 母がこんなに鋭く大きな声を出すのを聞いたのは初めてだ。 私の記憶の中で、母はずっと優しくて、少し臆病な女性だった。 だがその女性が今、私のために全世界に立ち向かって尖った声を上げている。 「この人でなし!あなたなんかに私の娘はもったいないわ!」 時也は頭ごなしに罵られ、一瞬呆然とした。 だがすぐに、彼も怒りに任せて反撃した。 「嘘つくな、ババア!雪乃がICUに一ヶ月も横たわってるなんてありえないだろ! 今までみたいに一人で俺と揉めるだけじゃ足りなくて、今度はお前まで一緒になって芝居してるのか?いい加減にしろ!」 私は時也の顔に一瞬驚愕の表情が浮かぶのを見たが、それ以上に多かったのは、軽蔑と疑念と煩わしさだった。 この瞬間、私はこの男がどれほど薄情になれるか、はっきりと理解した。 母も時也の態度に怒りを爆発させ、声を張り上げて時也に叫んだ。 「私の娘は死んでもあなたを許さない! あの子だけじゃない!私だって死んで悪霊になったら、絶対にあなたを許さないから!」 時也はスマホを強く握りしめ、首筋に青筋を浮かせた。 「黙れ!雪乃が死ぬわけがない! 出てこさせろ!たとえ死ぬにしても、俺と離婚してからにしろ!」

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