夫の死後、私たちは盛大な結婚式で再会した

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夫の死後、私たちは盛大な結婚式で再会した

GoodNovel 完結

夫の真田昴(さなだ すばる)が墜落死して四年目、私はようやく彼が残した四千万円の借金を返し切れるだけの金を貯めた。 病んだ体を引きずって返済に向かったのに、警備員に乱暴に突き飛ばされた。 「今日は久我家の本物のお嬢様の世紀の結婚式なんだよ。ホームレスはあっちへ失せろ!」 私は振り向き、そこで飾られていたウェディングフォトに、昴の顔を見つけた。 そんなはずがない。彼はたしかに、私の目の前で崖から落ちて死んだはずなのに。 私はホテルの裏手へ回り込み、はっきりさせようとした。 けれど不意に、昴の友人たちがからかうように笑う声が耳に入った。 「昴さん、わざわざ死んだふりまでして久我彩花(くが あやか)と結婚するなんて、そこまでしてこそ本物の愛だよな!」 「だって本物のお嬢様だからな。久我瑞希(くが みずき)みたいな偽物のお嬢様じゃ、昴さんのそばに控えることさえ身の程知らずだろ!」 昴が軽く咳払いした。 「彩花の体は今年を越せそうにない。彼女と結婚するのも、その最期の願いを叶えてやるためだ。五年の約束が終わったら、俺は瑞希のところへ戻るよ」 私は必死に口を押さえた。指の隙間から血がにじみ出る。 でも、昴。 私は五年目まで生きられないのよ。

チャプター (1)

第1章

夫の真田昴(さなだ すばる)が墜落死して四年目、私はようやく彼が残した四千万円の借金を返し切れるだけの金を貯めた。 病んだ体を引きずって返済に向かったのに、警備員に乱暴に突き飛ばされた。 「今日は久我家の本物のお嬢様の世紀の結婚式なんだよ。ホームレスはあっちへ失せろ!」 私は振り向き、そこで飾られていたウェディングフォトに、昴の顔を見つけた。 そんなはずがない。彼はたしかに、私の目の前で崖から落ちて死んだはずなのに。 私はホテルの裏手へ回り込み、はっきりさせようとした。 けれど不意に、昴の友人たちがからかうように笑う声が耳に入った。 「昴さん、わざわざ死んだふりまでして久我彩花(くが あやか)と結婚するなんて、そこまでしてこそ本物の愛だよな!」 「だって本物のお嬢様だからな。久我瑞希(くが みずき)みたいな偽物のお嬢様じゃ、昴さんのそばに控えることさえ身の程知らずだろ!」 昴が軽く咳払いした。 「彩花の体は今年を越せそうにない。彼女と結婚するのも、その最期の願いを叶えてやるためだ。五年の約束が終わったら、俺は瑞希のところへ戻るよ」 私は必死に口を押さえた。指の隙間から血がにじみ出る。 でも、昴。 私は五年目まで生きられないのよ。 第1話 夫の真田昴(さなだ すばる)が墜落死して四年目、私はようやく彼が残した四千万円の借金を返し切れるだけの金を貯めた。 病んだ体を引きずって返済に向かったのに、警備員に乱暴に突き飛ばされた。 「今日は久我家の本物のお嬢様の世紀の結婚式なんだよ。ホームレスはあっちへ失せろ!」 私は振り向き、そこで飾られていたウェディングフォトに、昴の顔を見つけた。 そんなはずがない。彼はたしかに、私の目の前で崖から落ちて死んだはずなのに。 私はホテルの裏手へ回り込み、はっきりさせようとした。 けれど不意に、昴の友人たちがからかうように笑う声が耳に入った。 「昴さん、わざわざ死んだふりまでして久我彩花(くが あやか)と結婚するなんて、そこまでしてこそ本物の愛だよな!」 「だって本物のお嬢様だからな。久我瑞希(くが みずき)みたいな偽物のお嬢様じゃ、昴さんのそばに控えることさえ身の程知らずだろ!」 昴が軽く咳払いした。 「彩花の体は今年を越せそうにない。彼女と結婚するのも、その最期の願いを叶えてやるためだ。五年の約束が終わったら、俺は瑞希のところへ戻るよ」 私は必死に口を押さえた。指の隙間から血がにじみ出る。 でも、昴。 私は五年目まで生きられないのよ。 中ではまだ笑い声が続いていた。 「昴さん、あの頃の演技ほんと神がかってたよな。瑞希なんかその場で泣いて気絶してさ、目が覚めたら自分も後を追って飛び降りそうな勢いだったし。こっちは笑いをこらえすぎて、内出血でもするかと思ったわ!」 「でもさ、彩花に五年付き添うって約束したんだろ?瑞希が耐えきれなくなって、ほかの男のところへ行ったりしないのか?」 昴はネクタイを整えながら、呆れたように言った。 「まさか。あいつは俺に惚れ込みすぎて、生半可なことじゃ離れられないんだよ。死んだふりでもしなきゃ振り切れなかったくらいだ。それに、あの四千万円があるだろ。あいつに逃げ場なんてない」 私は指を強く噛んで泣き声を押し殺した。涙が止めどなくこぼれ落ちる。 四千万円の借金から、私はたしかに逃げられなかった。 昴はため息をつき、いたわるような声で言った。 「瑞希にはまだ先が長い。けど彩花は肺がんで、余命は五年しかないんだ。死ぬ前にたったひとつ、俺と結婚したいって望んでる。そんなの、がっかりさせられるわけないだろ」 私は胸の痛みを押さえたまま、呆然と立ち尽くした。口元から血がにじんでも構わなかった。 彩花も、いつ肺がんになったの?しかも余命まで、五年なの? 誰かが調子を合わせるように笑った。 「そりゃあ彩花にあんなによくしてやるわけだよな。昔はまったく台所に入らなかったのに、わざわざ海外まで薬膳を習いに行って、四年も毎日あの手この手で作ってやってたんだから!」 「そうそう。昴さんなんて昼も夜も彩花につきっきりで、一歩も離れなかったもんな。まるで掌の上で大事に大事に包み込むみたいにさ!」 昴は手を振った。 「彩花には最高のものを与えるべきだ。俺が、あいつにいちばん盛大な結婚式を贈る」 中から楽しげな笑い声が弾けた。 私は拳を強く握りしめたまま、掌に食い込む痛みにすら気づかなかった。 この四年間、私は一度だってぐっすり眠れたことがない。毎晩、彼が崖から落ちるあの瞬間の悪夢で目を覚ました。 あまりにも突然の死で、私は妊娠五週目だったことすら彼に伝えられなかった。 彼を掴みとめられなかった自分が許せず、罪悪感に押し潰されながら、彼が落ちた崖のそばに三日三晩ひざまずいた。その三日間で、髪は真っ白になった。 足を引きずりながらようやく家に戻ると、彼が残した四千万円の借用書が届いていた。 彩花に家を追い出された私は、一文なしで、日雇い仕事を掛け持ちして返済の金を貯めるしかなかった。 配達の仕事もした。屋台で軽食も売った。荷運びの力仕事もした…… 苦しさも、疲れも、貧しさも怖くはなかった。 ただひとつ、息子の真田思希(さなだ しき)にだけは申し訳なかった。 妊娠中の鬱屈がたたり、あの子は生まれつき心臓が弱く、三歳でこの世を去った。 貴重な薬膳なんて言うまでもない。生きているあいだ、あの子は一度だってまともな食事を口にできなかった! あんなに幼かったのに、私と一緒に墓参りに行ったときには、半年も食べるのを我慢していた棒付きキャンディを、会ったこともない「お父さん」に供えてくれた。 それなのに今、昴は何事もなかったかのようにそこに立っていて、あれは死んだふりだったと言うの? 胸が激しく上下し、そのたびに肺の痛みが全身へ広がっていった。 ちょうどそのとき、ハイヒールの音が近づいてきた。 私は物陰に身を潜めたまま、ウェディングドレスをまとい、完璧に着飾った彩花が中へ入っていくのをただ見ていることしかできなかった。 「あなたぁ~、もう二時間も顔見てないのよ。すっごく会いたかったぁ!」 彼女は昴の首に腕を回した。 「ねえ、私きれい?」 昴は優しく彼女の髪を撫でた。 「もちろんだ。君は俺のいちばん大切な妻だよ」 彩花はドレスの裾をつまみ、鏡の前で軽やかにひと回りした。すると何かを思い出したように、甘える声で鼻を鳴らした。 「じゃあ、瑞希は?ちゃんと覚えてるんだからね。あなた、昔あの子と結婚したとき、二人だけの誓いを込めた特別な指輪まで贈ったじゃない」 昴は顔色ひとつ変えず、鼻で笑った。 「しょせんあの女は下劣な紛い物だ。君と比べる価値もない。君に言われるまで、そんな女のことなんてとっくに忘れていた」 私は震える手で、何もはまっていない薬指に触れた。顔は涙でぐしゃぐしゃだった。 この世にひとつだけの指輪をはめ、夫婦となる。この命が尽きるまで、想いは変わらない。 そう言ったのは、たしかに彼だった。 幼なじみとして育ち、大人になって夫婦になるまで、私は一度も彼の心を疑ったことなどなかった。 彼が堕落死したあと、私は指輪をはめたまま聖地への巡礼に出た。救いを求めるように、一歩進んではひれ伏し、一歩進んでは額を地につけ、長い道のりを血まみれになりながら進んだ。 どうか、神様があの人の魂を覚えていてくださいますように。来世では、穏やかで幸せな人生を歩めますように どれほど落ちぶれ、ゴミ箱を漁って不用品を拾い、それを売って金に換えるような暮らしをしていたときでさえ、私はあのダイヤの指輪を売ろうと思ったことは一度もなかった。 思希が亡くなったとき、私は自分の髪を切り、その指輪と一緒にあの子の骨壺へ入れた。 いつか天国で、私たち三人がまた家族として巡り会えますようにと、ただそれだけを願って。 結局、この何年ものあいだ、ひとりで勝手に想い続けていただけだったのだ。 「まもなく挙式を始めます!新郎新婦はご入場ください!」 司会者の声が、私の思考を断ち切った。 二人はそのまま幸せそうに腕を組み、甘く寄り添いながら、私の目の前を通り過ぎていった。 この上なく賑やかだった。 片隅でうずくまる私に、目を向ける者は誰ひとりいなかった。 割れんばかりの拍手の中、甘やかな歌声が流れ始めた。 私は目を見開いたまましばらく呆然とし、それからよろめきながら立ち上がると、結婚式場へ向かって駆け出した。 第2話 花々で埋め尽くされた高いステージの上で、昴は情感たっぷりに歌っていた。 私は入口の陰に立ち尽くし、胸が引き裂かれるように痛んでいた。 【余生は君とともに、生きるも死ぬも寄り添って……】 なんて聞き覚えのある歌なのだろう。 その曲は昴が自ら作ったものだった。私にも何度も、何度も歌ってくれた。 最初は、私たちの結婚式で。 最後は、彼が崖から落ちる直前だった。 私は必死で彼の手首を掴んでいた。彼は私を見つめ、かすれた声でこの一節を歌い終えると、自分から私の手をほどいた。 彼が私に残した最後の言葉は、「瑞希、余生は短すぎる。来世でまた君に寄り添うよ」だった。 あれ以来、私はどんな歌も聴けなくなった。 どんな旋律を耳にしても、脳裏によみがえるのは、あの日彼が歌い上げたあの声ばかりだった。 けれど今は幻なんかじゃない。彼は本当にステージの上で歌っている。ほかの女に向かって――自分の新しい妻に。 喉の奥を激しいむず痒さが襲い、私は必死に口を押さえて咳き込んだが、あふれてくる血までは抑えられなかった。 やっとのことで顔を拭い終えたときには、ステージの上ではもう指輪の交換が始まっていた。 「彩花、君が望むものなら、俺は何だって叶えてあげる」 昴がゆっくりと言った。 胸の奥を誰かにぐっと握り締められたようで、理由のわからない焦りが込み上げる。 そして彼は指輪を手に取り、祈るような面持ちで彼女の指にはめた。 「これは、君への誓いを込めたダイヤの指輪だ。どうかこれからの人生を、ずっとそばで一緒に歩んでいけますように」 目の前が不意に真っ暗になり、私はその場に崩れ落ちた。 かつて私だけのものだったすべてが、こうして一つずつ彼に塗り替えられ、彩花の名前に置き換えられていく。 彩花に一文無しで久我家を追い出されてから、私は両親も、友人も……すべてを失った。 私にはもう、昴しかいなかった。 その彼が死んだあと、思希までいなくなった。 もともとこの世で私は何ひとつ持っていなかった。ただ思い出だけを支えに、かろうじて息をつないでいた。 なのに今、その思い出さえも彼の手で打ち砕かれてしまった。 「お姉さん、大丈夫ですか?」 招待客のひとりが私を起こし、水の入ったコップを差し出してくれた。 ぼやけていた視界が少しずつはっきりしてきて、私は礼を言った。 彼女は明るく笑った。 「こういうドラマみたいな理想のカップル見て、興奮しちゃったんですか?私はもうとっくに見慣れてますけどね!」 私が口を開く前に、彼女は目を輝かせながらSNSの画面を見せてきた。 「知らないんですか?真田社長って彩花さんにすっごく甘いんですよ!海の上の日の出を見たことがないって彩花さんが言っただけで、島を丸ごと貸し切って、一緒に日の出を待ったんですから!」 私は画面を見つめたまま、コップを握る指に力を込めた。顔は青ざめていた。 それは昴が墜落して亡くなってから、七日目のことだった。私は彼に少しでもましな墓を用意してやりたくて、あの島の港で荷運びの仕事をして金を貯めようとしていた。なのに警備員に立ち退けと言われ、蹴り飛ばされた。 避けきれず、私は冬の凍てつく海水に落ちた。三日三晩高熱にうなされ、肺がんはさらに悪化した。 「それにこれも!彩花が急にこの町のスイーツを食べたいって言ったら、真田社長、市立病院の20億円規模の契約まで蹴って、専用機で買いに行ったんですよ!」 ガシャンと音を立てて、コップが床に落ち、粉々に砕けた。 私の思希……あのとき、市立病院はあの子を治せると言っていたのに。特殊な治療装置さえ届けばって! なのに発作を起こしたその日、本来届いているはずの機器は病院になかった。出資者が土壇場で資金を引き揚げたと言われた。 あんなに温かくて、やわらかくて、あんなに聞き分けのいい子だったのに! あの子はそうして、私の腕の中で冷たく、硬くなっていった…… 息を引き取る間際まで、小さな手を懸命に持ち上げて私の涙を拭ってくれた。「ママ、泣かないで」って! 私は刃物でえぐられるように痛む胸を押さえ、ばっと顔を上げて、すでに式を終えたステージの上の二人を見た。 するとちょうど、彩花と視線がぶつかった。 「あら、これって瑞希お姉さまじゃない?」 第3話 彩花は使用人たちに命じて、私をステージ脇へ引きずっていかせた。 ドレスの裾を持ち上げながらこちらへ歩いてくる彩花は、顎を高く上げ、かつて久我家に戻ってきたばかりの頃のようなおどおどした様子など、もうどこにもなかった。 私は胸の内がぐちゃぐちゃにかき乱され、泣きたいのか笑いたいのかもわからないまま、ため息をついた。 そういえば、彼女を久我家へ連れ帰ったのは、ほかでもない私だった。 あれは土砂降りの日だった。昴が私を迎えに来てくれた帰り道、私は道端でバイクにはねられた女の子を見つけた。 彼女を病院へ連れて行ったのは私だった。 彼女は何度も礼を言い、自分は身寄りのない孤児で暮らしも苦しいから、恩返しに私の家で住み込みで働かせてほしいと言った。 私と同じくらいの年なのに、着ているものはぼろぼろで、目つきも怯えていた。私は気の毒になって、昴に止められたのも聞かず、彼女を久我家へ連れて帰った。さらに両親に頼んで、大学へ通い続けられるよう援助までしてもらった。 まさかその後、彼女が二通の親子鑑定書を持ち出し、そこでようやく久我家は知ることになるなんて思いもしなかった。手違いの末に、本物のお嬢様を拾ってきたのが、この偽物のお嬢様だったなんて。 それから両親はもう私の両親ではなくなった。彩花への埋め合わせのために、二人は私ときっぱり縁を切った。 皮肉にも、その日もまた雨だった。 それでもあのときは、昴がしっかりと私の手を握ってくれていた。本当のお嬢様だろうが偽物だろうが、自分には関係ない、二人だけの家を作ろうと言ってくれた。 けれど、人の心は変わるものだった。 「瑞希お姉さま、私たちを祝福しに来てくれたの?」 彩花の澄んだ声が、私の思考を断ち切った。 私が口を開きかけたそのとき、昴の声が飛んできた。 「彩花、どこへ行くんだ?まだ挨拶回りが――瑞希?」 やわらかかったその声色が、突然変わった。昴は信じられないものを見るように私を見つめ、顔色を失っていた。 私は口元を引きつらせた。 「私よ。久しぶりね。おめでとう。また結婚したのね」 昴の目に、かすかな痛みがよぎった。彼は必死に首を振った。 「違う!瑞希、君が思ってるようなことじゃない!」 「お姉さま、そんなによそよそしくしなくていいのに。昴は私の夫なんだから、義弟って呼んでくれればいいのよ~」 彩花はそう言って、ふいに彼の肩にもたれ、甘く微笑んだ。 昴は眉をひそめたが、彼女を突き放しはしなかった。ただ何か言いかけては飲み込み、言い淀みながら私を見た。 「瑞希、実は事情がいろいろあるんだ……もう少しだけ待ってくれ。ちゃんと説明するから!」 私は喉までせり上がってきた血をなんとか飲み込み、弱々しい笑みを作った。 「もういいわ。末永くお幸せに」 胸をそっと押さえながら、私はゆっくりと背を向け、外へ向かって歩き出した。 「瑞希!」 昴が思わず叫んだ。 「瑞希お姉さま!」 今度は彩花が言葉を継ぎ、にこにこと笑いながら言った。 「せっかくだし、残って一緒に食事していかない?こんなに立派なお料理、きっとずっと食べてないでしょう?これ、全部昴が私のために用意してくれたのよ!」 胸がぎゅっと締めつけられ、さっき見せられた投稿の数々が脳裏によみがえった。 気が遠くなるような感覚のなか、私はもう肺の痛みを抑えきれず、身を折って激しく咳き込んだ。 「瑞希、血を吐いてるじゃないか!」 昴は取り乱したようにハンカチを探り出して私に差し出した。 「どうしたんだ?病院へ連れていく!」 私は彼の差し出した手を無視し、口元を乱暴に拭って、震える手で鞄の中から薬を取り出した。 彩花は目をくるりと動かし、呆れたような顔で言った。 「お姉さま、数年会わないうちに、ずいぶん芝居がうまくなったのね?血糊まで用意してたなんて。 昴の同情を引きたいんでしょうけど、今日は私の大事な日なの。たとえ偽物の血でも、さすがに場違いじゃない?」 私は彼女を相手にしている余裕などなかった。肺がん末期で、内臓の一つひとつが焼けつくように痛む。決まった時間に強い鎮痛剤を飲まなければならなかった。 なのに次の瞬間、手にしていた鞄を叩き落とされ、薬の瓶がステージの端へ転がっていった。 昴は手を引っ込め、低い声で言った。 「瑞希、やりすぎだ。芝居で人をだますべきじゃないし、俺の情に付け込んで、彩花の一生に一度の結婚式を台無しにしようなんて、なおさら許されない!」 私は目を見開いて彼を見た。 信じないの?たったそれだけのやり取りで、私が悪いと決めつけるの? 芝居をしているのはいったい誰なの。演技のうまさなら、私は彼の足元にも及ばない! 痛みに肩を丸めながら、私は息を切らして言い返した。 「演技なんかじゃない……それは私の特効の鎮痛薬よ!」 昴は眉間に深いしわを寄せた。 「でたらめを言うな。君の健康診断の結果は問題なかったはずだ。四年会わないうちに、どうしてそんなに厚かましくなった? まず彩花に謝れ。でなきゃ、俺は絶対に許さない」 私は唇をきつく噛みしめ、全身に汗をにじませながら地面にしゃがみ込み、必死に手を伸ばして薬の瓶を取ろうとした。 もう少しで届く、そう思った瞬間、ダイヤで埋め尽くされたハイヒールがそれを蹴り飛ばし、薬瓶は完全にステージの下へ転がり込んだ。 彩花は唇を尖らせ、傷ついたような顔で言った。 「やっとわかったわ。お姉さま、今日はこんなに小道具まで揃えて、最初から当たり屋みたいに騒ぎを起こすつもりだったのね。でも本当にお金に困ってるなら、こんな場所で騒ぐべきじゃないでしょ?外に知れたら、私の面目が丸つぶれだもの」 彼女はため息をつき、上品なハンドバッグから五枚の紙幣を取り出して、私の前に投げつけた。 私は受け取らず、胸を押さえたまま荒く息をした。 「五万じゃ少ないってこと?じゃあ、私が代わりに受け取ってあげるわ!」 彼女は床に散らばった私の鞄を拾い上げた。 私は瞳を縮めた。鞄の中には、返済する最後の200万円が入っている! 彩花はおもしろがるように言った。 「へえ、お姉さま。このお金、まさかあちこちで当たり屋して集めたんじゃないでしょうね?」 「もうやめろ!」 昴が声を抑えて怒鳴り、私の鞄を取り上げた。 私はほっと息をついた。けれど次の瞬間、彼はこう言った。 「この200万円は、彩花への詫びとご祝儀ってことにしておく」 第4話 私は勢いよく顔を上げた。 けれど彼の視線は私には向かず、彩花だけを見て、なだめるようにその腰を抱き寄せていた。 私はゆっくりと口元をつり上げた。笑みはだんだん大きくなり、ついには声を立てて笑い出し、目から涙があふれた。 「気でも狂ったのか?」 昴が叱りつけた。 私は涙をぬぐい、ふらつきながら立ち上がると、冷たく彼を見た。 「私はちゃんと正気よ。 昴、その鞄を持っていきたいなら持っていけばいい。あなたの借金なんだから、自分で返しなさい。 これで私たちは終わりよ」 私は二歩ほど後ずさりし、そのまま背を向けて立ち去ろうとした。 彼はきつく眉を寄せ、目の奥にかすかな狼狽と戸惑いを浮かべた。 ちょうどそのとき、彩花が胸を押さえて声を上げ、彼が問いかけようとした言葉を遮った。 昴は反射的に彼女を支えたが、次の瞬間、彼女が怯えた顔で私を指さした。 「瑞希お姉さま、それ、首に下げてるの何なの!」 私は視線を落とした。首元にあったのは、安物の通販で100円で買った小さなロケットだった。中には、思希が私に残してくれた最後の思い出が入っている。 彩花は涙をこぼし、昴の腕の中に身を縮めた。 「どうりで急に胸が痛くなったはずよ!そのペンダント、命をすり替える呪物として使われる邪なものなの。掲示板で見たことがあったから、すぐわかったわ! お姉さま、二十年以上も私の人生を奪っていい思いをしてきたのに、今になってまだ私を放してくれないの?」 昴の目つきが鋭くなり、有無を言わせず私のネックレスを引きちぎった。 ペンダントは地面に落ちて砕け、中からきっちりと折りたたまれた紙が一枚こぼれ出た。 私は肺の痛みに耐えながら拾おうとしたが、彩花に先に取られてしまった。 「返して!」 私は鋭く叫んだ。 それは、思希が三歳の誕生日に描いた家族の絵だった。 一度も父親に会ったことのないあの子は、それでも父親を描くときがいちばん真剣だった。自分の想像できる限りの幸せを、全部その絵の中の父親にあげていた。 棒付きキャンディ、おもちゃの銃、それから穴の空いていないランドセル…… あの子が誕生日に願ったのは、ママともっとたくさん不用品を拾えるようになることだった。売ったお金で、パパのお墓にいちばんきれいな花を供えたかったのだ。 霊園のほかのお墓にはみんな花があるのに、パパだけないなんてだめだよ、とあの子は言った。 けれど三歳の誕生日を迎えてからほんの数日後、あの子はこの世を去ってしまった…… 「この紙にも変な呪いの記号がある!お姉さまって、そこまでして私の代わりになりたいの!」 彩花が甲高い声で叫んだ。 それを聞いた昴は、ためらいもなくその紙を引き裂いた。 私は目を見開き、飛びかかるようにして止めようとした。けれど彼が腕を振ると、紙片は宙に散って舞い落ちた。 それはまるで、思希が逝ってしまったあの日、空いっぱいに舞っていた雪のようだった。 私は魂を抜かれたように、その場にへたり込んだ。 「思希……私の思希……」 すると彩花はかがんで私を支えるふりをし、耳元で冷たく鼻を鳴らした。 「お姉さま、もう無駄よ。昴も、久我家も……あなたが手に入れられるものなんて、この先一生ないんだから。 そうだわ、昴には黙ってあなたに背負わせたあの四千万円の借金、ちゃんと返し終わったの?」 私は頭の中がぐちゃぐちゃになり、血が一気に上った。思わず彼女を突き飛ばした。 「彩花、あなた――」 「あっ!」 彼女はその勢いに乗るように大げさに床へ倒れ込み、悔しそうに叫んだ。 「私に暴かれたからって、もう芝居もしないのね!いきなり手を出すなんて!」 次の瞬間、ぱしんと乾いた音がして、平手打ちが私の頬に飛んだ。 昴が怒鳴った。 「瑞希、本当に狂ったのか!この四年、ずっと君のことを気にかけてきた俺が馬鹿みたいだ!彩花の人生を二十年も奪っておいてまだ足りず、今度は殺そうとまでする気か?」 頬は焼けるように痛んだ。けれどその痛みさえ、内臓を引き裂く苦しみには到底及ばなかった。 私は全身を震わせ、歯の根までがちがちと鳴らしながら言った。 「昴、私は何ひとつ恥じることなんてない……あなたこそ、私に借りがあるのよ! どうせ、もう私には残された時間もほとんどない……来世では、二度とあなたに会わないように」 私は力なく笑い、痛みに耐えながら、床に這いつくばって紙切れを拾い集めた。 これは思希が私に残してくれた、たったひとつの形見だ。何があっても持って帰らなければならない。 昴の目が一瞬だけ揺れた。けれど彼は声を強くして言った。 「そんな縁起でもないことを言うな!まだ俺が信じるとでも思っているのか?」 彩花が鼻で笑った。 「お姉さま、頭がおかしくなって支離滅裂なこと言ってるみたいね!私たち、これから親族に挨拶に行かなきゃいけないし、先に病院へ送って、その頭をちゃんと診てもらったほうがいいんじゃない?」 昴は大きく手を振った。すると四人のボディガードが駆け寄ってきて、私をきつく押さえつけた。 「こいつを、いちばん設備の整った精神科病院へ連れていけ。絶対に一歩も外へ出すな!」 それが、彼が私に向かって言った最後の言葉だった。 十日後、昴のもとに病院から電話が入った。 「どうした?あいつ、もう落ち着いたか?」 彼は気のない調子でそう尋ねた。 すると受話器の向こうから、切羽詰まった声が返ってきた。 「真田社長、あの方がずっと吐血していて、このままでは本当に危ないんです!」

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