第1章
ゴールデンウィークの3日前、俺――唐沢雅人(からさわ まさと)のもとに、労働基準監督署から電話がかかってきた。
「従業員の方から、『休暇中の社員旅行への参加を事実上強制されている』との相談がありまして……」
一瞬、何のことかわからなかったが、SNSで検索してみて、思わず目を疑った。
先月入ったばかりのインターンが投稿した動画が拡散され、地元で話題の動画として上位にまで上がっていたのだ。
【ゴールデンウィークまで社員旅行を強制するブラック社長、社員を何だと思ってるの?】
【「自由参加」って言われても、こんなの断れるわけないでしょ】
コメント欄は何万件もの批判や罵倒で埋まり、俺はすっかり悪者扱いされていた。
けれど実際のところ、うちの社員旅行は昔から費用を全額会社負担にし、仕事は一切なし。旅行中も有給の特別休暇扱いにするなど、かなり手厚い内容にしてきた。
しかも今回は、俺が自腹を切ってモルディブ7日間の豪華旅行まで用意していた。
食事代も宿泊費もすべてこちら持ちで、一人あたり40万円の旅行補助まで付け、勤続年数の長い社員には家族の同伴も認めていた。
それでも、そこまで「自由」が大事だというなら、こちらが用意した有給旅行に無理して付き合ってもらう必要もないだろう。
俺は労基署の担当者に、ひと言だけ返した。
「必要な確認や対応には、すべて協力いたします」
電話を切ると、そのまま全社チャットにメッセージを送った。
【労働基準監督署からの指導を受け、ゴールデンウィークに予定していた社員旅行は中止します。期間中は全員、カレンダーどおりに休んでください】
【また、今回予定していた旅行補助金と社員旅行の予算は、全額を会社資金として留保します】
送信した途端、オフィスのドアの向こうから、誰かが机を思いきり叩く音が響いた。
第1話
俺がこの会社を立ち上げてから、今年で6年目になる。
最初の3年は、4人で狭い賃貸マンションの一室を借り、がむしゃらに働いて、ようやく会社を軌道に乗せた。
その頃、俺はひとつだけ、絶対に変えないルールを決めた。
「毎年、会社の純利益の50%を社員の福利厚生に回す」
無料のフルーツやお菓子を用意する程度の、形だけの福利厚生じゃない。社員がちゃんと実感できる形で還元する。
去年の秋の連休には、全社員に24万円の特別手当を出し、さらに3日間の有給休暇もつけた。
一昨年は社員旅行でニュージーランドへ行き、スカイダイビングも楽しんだ。1人あたり86万円かかった旅費も、全部会社持ちだった。
創業当初からついてきてくれた古参社員ともなると、年間の手当や福利厚生だけで、年収を上回るほどになる。
その分、社員も仕事でしっかり応えてくれた。社内の雰囲気はよく、業績は毎年倍増。離職率も、同業他社に羨まれるほど低い。
だから今年のゴールデンウィークはさらに奮発し、モルディブ7日間、水上ヴィラ付きの社員旅行を用意した。
1人あたり40万円を補助し、長く勤めている社員なら家族も連れていけるようにしていた。航空券とホテルの予約金も、2週間前には支払いを済ませていた。
ところが、先月入ったばかりのインターン、小川紗季(おがわ さき)が投稿した、たった30秒ほどのショート動画一本で、そのすべてが台無しになった。
創業当初からずっと一緒にやってきた松本久美子(まつもと くみこ)が、スマホを俺の目の前に突き出した。
「社長、コメント、もう5万件超えてます」
俺は画面をざっと見た。
【社員のこと食い物にしてる最低の社長】
【ゴールデンウィークに社員旅行とか、ただの休日出勤じゃん】
【社員にだって休む権利はあるでしょ。これ、労基署に通報したほうがいい】
コメント欄は罵倒で埋め尽くされ、どれもこれも名指しで俺を叩くものばかりだった。
紗季は動画に「ブラック企業を許すな」というタグをつけ、休みの日まで社員旅行に強制参加させられると、さも自分が被害者であるかのように訴えていた。
動画だけを見れば、理不尽な会社に勇気を出して立ち向かった社員にしか見えない。
その動画は、すでに300万回以上も再生されていた。
オフィスを出ると、廊下にはすでに大勢の社員が集まっていた。
久美子と同じ頃に入社した石井和彦(いしい かずひこ)は、ウォーターサーバーのそばでスマホのコメント欄を数人の古参社員に見せながら、怒りをぶちまけていた。
「あいつ、会社の世話には散々なっといて、よくこんなことできるな。ニュージーランドの旅行には参加してないくせに、特別手当はきっちり満額もらってるだろ」
その隣にいた営業部の佐藤直樹(さとう なおき)が、焦った様子で口を挟んだ。
「じゃあ、モルディブはどうなるんですか?妻ももう旅行の準備をしてるんですよ」
和彦が近くの机をバンと叩いた。
「行けるわけないだろ。労基署まで動いたんだぞ。社長がさっき、社員旅行は中止だって全員に知らせただろ」
その一言で、廊下は一気にざわついた。
「小川のやつ、恩知らずにもほどがあるだろ。せっかくの旅行を全部台無しにしやがって、何考えてんだよ」
社員たちが一斉に騒ぎ出す中、俺は何も言わず、そのままオフィスへ戻った。
久美子もすぐ後を追ってきて、声を落とした。
「社長、本当にこのまま何も言わないんですか? ネットじゃ、かなりひどいことまで言われてますよ」
「いいんだ。それより、この1年分の利益還元の振込記録と、福利厚生の受領確認書、それから今回のモルディブ旅行の予約確認書と支払い明細を、全部まとめてくれ」
久美子は一瞬、言葉に詰まった。
「労基署が調査に来るんだ。好きなだけ調べてもらえばいい」
第2話
椅子に座り直すと、スマホがまた震えた。
画面を見ると、紗季がまた動画を投稿していた。
カメラの前の紗季は目を赤くし、震える声で話していた。
「みんな、応援してくれてありがとう。私はただ、普通に働きたいだけなんです。こんなおかしな会社のやり方で、これ以上つらい思いをする人を増やしたくありません」
俺はスマホを置き、机の上ですっかり冷めたコーヒーに手を伸ばした。
直後、ドアの向こうから、また誰かが机を叩いたような大きな音がした。
久美子はドアのそばに立ち、何か言いたそうに俺を見ていた。
俺は久美子に目を向けた。
「小川の入社時の書類も出しておいてくれ」
……
翌日、紗季は会社を休んだ。
病欠の連絡と一緒に出された診断書には、急性胃腸炎と書かれていた。
ところが動画アプリを開いてみると、紗季は自宅のベッドに座ってライブ配信の真っ最中だった。後ろの壁には「職場改革」と大きく書かれた横断幕まで掛けられていた。
「みんな聞いて。私、本当のことを言ったら会社に目をつけられちゃって……今日は怖くて、会社に行けなかったの」
ノーメイクで薄手の白いTシャツ姿の紗季は、もともと細身なこともあって、いかにも弱々しく見えた。
視聴者はすでに2万人を超え、紗季を心配するコメントがひっきりなしに流れ、投げ銭も次々と飛んでいた。
「私、まだインターンなんだよ。給料だって決して高くないの。でも後悔はしてない。雇われてる側だからって……」
そこで紗季はわざと声を詰まらせ、手の甲で目元をぬぐった。
「こんな扱いをされていいわけじゃないから」
声を詰まらせるタイミングも、その仕草も、あまりに出来すぎていた。
俺は紗季にメッセージを送った。
【小川、入社してまだ1か月だ。これまで会社がどんな社員旅行をしてきたか、まだ知らないだろう】
【今ならまだ引き返せる。ここでやめれば、これ以上大事にはならない】
既読はついたが、返事はなかった。
ところが30分後、紗季の配信を覗くと、さっき送ったメッセージをそのまま読み上げていた。
紗季は俺とのやり取りのスクショまで配信画面に出した。
「みんな、これ見て。社長本人からこんなメッセージが来たの。
『今ならまだ引き返せる』って……要するに、黙れってことでしょ?こんなの脅しと同じじゃない?」
その瞬間、コメント欄が一気に荒れた。
【え、これ普通にアウトじゃない?】
【怖すぎる……やり取りは全部残しといたほうがいいよ】
【スクショ取っといた。何かあったとき証拠にできると思う】
投げ銭の額も、見るたびに増えていた。
午後になると、久美子と和彦がそろって俺のところへやってきた。二人とも浮かない顔をしていた。
和彦が先に口を開いた。
「社長、もう黙ってるだけじゃまずいですよ。ネットじゃ話がどんどん大きくなって、今度は裏金だの賄賂だのって言い出す連中まで出てきてます」
久美子も頷いた。
「和彦とも話したんですけど、一度、会社の公式サイトでこれまでの経緯をきちんと説明したほうがいいと思います。
去年、自治体からいただいた優良事業所の表彰状と、納税証明書も一緒に載せましょう」
少し考えてから、俺もそうすることにした。
ところが、会社の説明を掲載してから2時間もしないうちに、紗季はその内容を配信で取り上げていた。
しかも、まるでこちらが必死になるのを面白がっているような笑い方だった。
「みんな見て。今度は『うちは表彰された会社です』って、表彰状まで持ち出してきたよ。
でも、こういう表彰だって、どういう基準で選ばれたのかなんて私たちにはわからないよね。裏でお金が動いてても、外からじゃわからないし」
それを聞いた途端、コメントの流れがまた変わった。
【急に表彰歴まで出してくるの、逆に怪しくない?】
【その表彰、どういう基準で選ばれたのかも調べてほしい】
【本当に何もないなら、ここまで必死にアピールする必要なくない?】
向かいに座っていた久美子は表情をこわばらせ、手にしたペンをぎゅっと握っていた。
「ここまで好き勝手言えるなんて……信じられません」
俺はそこで配信を閉じた。
和彦がこちらに寄ってきて、声を落とした。
「社長、あの子、最初から狙ってやってますよ。言葉の選び方も、人を煽るやり方も慣れすぎてる。まだ社会人経験も浅いインターンが、一人でここまでやれるとは思えません」
その可能性なら、俺もとっくに考えていた。
今まで動かなかったのは、こちらが気づいていると悟らせたくなかっただけだ。
「もう少しだけ好きにさせておけ。こっちも、このまま黙って終わるつもりはない」
久美子はまだ不安そうだったが、俺が慌てていないのを見ると、それ以上は何も言わなかった。
俺はパソコンを開き、紗季が入社初日に提出した人事書類を確認した。
緊急連絡先の欄に書かれていたのは家族ではなく、鈴木健太(すずき けんた)という名前だった。
本人との関係の欄には、「友人」と書かれていた。
第3話
健太は営業部に入って4年目になる古株だった。
一昨年のニュージーランド旅行にも参加し、去年の特別手当も受け取っている。会社から受けられる福利厚生も、毎回きっちり利用してきた。
俺はそのページをスクショして久美子に送った。
【鈴木の直近3日分の社内システムのアクセスログを確認してくれ】
……
騒ぎは3日目に入り、とうとう収拾がつかなくなっていた。
午前9時、スマホが鳴った。
相手は、3年前から取引を続けているうちの最大の取引先の社長だった。
電話に出ると、相手はいきなり本題に入った。
「唐沢社長、率直に申し上げます。うちでは取引先の風評リスクも確認しているんですが、今回の件は社内でもかなり問題になっていまして。
次の四半期の発注は、いったん見送らせてください。状況が落ち着いてから、改めてお話しできればと思います。
私の一存で決められる話ではありません。取締役会からも説明を求められているので」
通話が切れた直後の電子音が、静まり返ったオフィスにやけに大きく響いた。
1億6000万円。
次の四半期の売上の4割を占める取引が、たった30秒ほどの動画一本で吹き飛びかけていた。
スマホを握る手に、無意識に力が入った。胸の奥に重いものが沈んでいくようだった。
まだ頭の整理もつかないうちに、久美子が勢いよく入ってきた。
「社長、鈴木が社内で変な動きをしてます」
一瞬驚いたが、健太のことを考えると、そこまで意外でもなかった。
「休憩スペースに入社したばかりの若手を何人か集めて、何か話してたんです。
たまたま通りかかったんですけど、社長の今回の対応はひどすぎるとか、小川さんは一人で会社に立ち向かってるんだから、みんなで助けるべきだとか……そんなことを言ってました。
それに、小川さんのことを『紗季ちゃん』って呼んでたんです。入ってまだ1か月なのに、ずいぶん親しそうでした」
俺は椅子の背にもたれ、黙って聞いていた。
健太のことはよく知っていた。要領がよく、社内で誰かと揉めることもほとんどなかった。
社員旅行の宴会では真っ先に酒を注いで回り、集合写真ではさっと中央に入り込む。福利厚生の案内が出れば、申し込みも誰より早かった。
そんな健太が今になって紗季の肩を持ち、若手まで巻き込んでいる。
どうにも引っかかった。
久美子がタブレットを差し出した。
「それと、鈴木のアクセスログを確認したんですが、気になる点がありました」
画面にはアクセス履歴が並んでいた。
過去3日間、健太のアカウントで勤務時間外に何度も顧客管理システムへアクセスした記録が残っていた。
アクセス時刻は、ほとんどが深夜11時から翌午前1時の間だった。
「何を持ち出した?」
久美子の声がわずかに震えた。
「大口取引先3社分の見積データです。最低提示価格まで入ってます。
これが競合に渡ったら、うちより安い価格をぶつけられて、取引先をまとめて持っていかれる可能性があります」
そこまでわかれば、話はつながった。
紗季はただ前に立たされていただけで、裏で仕掛けていたのは健太だった。
事情を知らないインターンを前に出して会社を炎上させ、社内を混乱させた。その騒ぎにみんなの目が向いている間に、健太は顧客データを抜いていた。
「そのデータを持って、どこへ行くつもりだ?」
久美子は少し間を置いて答えた。
「調べたところ、先月、青嶺商事の営業部長と2回食事をしてます。
青嶺商事は、うちの最大の競合です」
俺は少し考えた。
「会ってた証拠はあるか?」
久美子はすぐにスマホを取り出した。
「鈴木本人が写真を載せてました。『久しぶりの友人と食事』って書いてあります。向かいに座ってる男性の上着の胸元に、青嶺商事のロゴが入ってます」
俺はしばらく黙って画面を見た。
「鈴木は今日、来てるのか?」
「はい。今も席にいます。さっき通りかかったとき、小川さんの配信を見て笑ってました」
俺は社内の防犯カメラの映像を確認した。
健太は自分の席に座り、横向きにしたスマホを机の上に置いて、何度も画面を操作していた。
映像では細かいところまでは見えなかったが、一瞬だけ画面が切り替わり、紗季の配信にギフトを送っているのが見えた。
使っていたのは普段のアカウントではなく、アイコンも設定されておらず、ユーザー名も適当な文字列になっている裏アカだった。
それでも、必要な手続きを取って決済情報まで確認できれば、健太本人にたどり着ける可能性は高い。
映像を見ていた久美子は、怒りを抑えきれない様子で声を震わせた。
「4年もこの会社にいて、手当ももらって、社員旅行にも参加してたのに……情報まで持ち出して、そのうえ会社まで潰そうとするなんて」
第4話
俺は席を立ち、久美子に声をかけた。
「明日の午後3時、大会議室で全体会議を開く。小川も含め、全員出席で頼む。
社内チャットには、ゴールデンウィーク前の最後の全体会議で、労基署への対応について説明することと、確認書への署名があるから全員出席だと書いてくれ。文面はなるべく柔らかめにな」
久美子は少し迷ったあと、俺を見た。
「小川さん、来ますかね?」
俺は防犯カメラの映像を閉じた。
口元がわずかに緩んだ。
来るに決まっている。
今の紗季が、社員の前で俺をやり込める絶好の機会を逃すはずがない。
……
ゴールデンウィーク前日の午後3時。
時計の針が3時を指したところで、大会議室のドアが開いた。
先頭で入ってきたのは紗季だった。片手にスマホを掲げ、自分を映しながら、そのまま配信を続けていた。
画面にはコメントや通知が次々と浮かんでいた。
紗季は薄くメイクをしており、その後ろには、健太が声をかけて集めた若手社員4人もついてきていた。
紗季はカメラに向かって、落ち着いた声で話した。
「みんな、今会社にいます。社長に呼ばれて、これから社員みんなで会議です。
このあと何を言われるかわからないけど、私は逃げないし、黙るつもりもありません」
視聴者数は3万人台だったのが、みるみる5万人近くまで増えていった。
画面もあっという間にコメントで埋まっていった。
【紗季ちゃん負けるな】
【ブラック社長に言いたいこと全部言ってやれ】
【みんながついてるからね】
紗季は俺の正面に座ると、スマホをテーブルに立てかけ、カメラをまっすぐ俺に向けた。
「社長、始める前に、私から少しお話ししてもいいですか?」
俺が頷くと、紗季はそのまま切り出した。
「まず、休みの日の社員旅行を事実上強制していたことを認めて、社員みんなにきちんと謝ってください。
それから、今回のことで精神的にもかなり傷つきました。慰謝料も払ってください。
あと、この場のやり取りは最初から最後まで全部配信します。途中で止めさせたり、あとから都合の悪いところだけ消させたりしないでください」
【よく言った】
【そのくらい言って当然でしょ】
【言いたいこと全部言っちゃえ】
健太は会議室の後ろ、壁際の席で腕を組み、面白そうに成り行きを眺めていた。
俺がちらりと目をやると、健太はすぐに視線をそらした。
会議室は満席で、社員たちの視線は一斉に俺へ集まっていた。
配信の同時視聴者数も、6万人近くまで増えていた。
俺は黙ったまま席を立ち、用意しておいた封筒を手に取った。中から書類を一式ずつ取り出し、テーブルの上に並べた。
最初に出したのは、42人分の名前が記載されたモルディブ7日間の航空券の団体予約確認書だった。
次は、水上ヴィラの予約確認書。代金はすでに全額支払い済みで、1室1泊あたり平均28万円と記載されていた。
その次は、1人40万円の旅行補助金についての振込申請書だった。経理の承認印と俺の署名も入っていた。
最後は、長く勤めている社員が会社負担で家族を連れていけるようにした同伴者リストだった。配偶者や子どもを合わせて、21人分の名前が並んでいた。
どの書類にも社印が押されており、今回の旅行にかかる費用は総額4000万円を超えていた。
俺は紗季にも、健太にも目を向けなかった。
代わりに視線を向けたのは、テーブルに置かれたスマホだった。
そのレンズの向こうにいる視聴者へ、まっすぐ語りかけた。
「配信をご覧の皆さん。ここ3日、散々『悪徳社長』だの『ブラック企業の社長』だのと言われてきた本人です」
コメント欄には、まだ好き勝手な言葉が流れ続けていた。
俺は少し間を置き、声を落とした。
「今日は、その件についてお詫びします」
紗季は一瞬、意外そうな顔をした。
だが、俺が折れたと思ったのか、すぐに勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
俺は目の前に並べた書類へ目を落とした。
「私が間違っていました。社員を家族みたいに大事にして、毎年、利益の半分を福利厚生に回してきました。でも、そこまでする必要はなかったようです。
ましてや、自腹まで切って、水上ヴィラ付きのモルディブ旅行まで用意するなんて、やりすぎでした」
さっきまで流れ続けていたコメントが、一瞬だけ止まった。
「しかも、有給扱いにして、旅費もホテル代も会社で出して、1人40万円の補助までつけました。そこまでしてモルディブに7日間連れていこうとしたのが、どうやらまずかったようです。
申し訳ありませんでした。今後、社員旅行やこうした社内イベントはすべてやめます。休みの日は、各自好きに過ごしてください」