送り間違えた愛情、届かないまま

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送り間違えた愛情、届かないまま

GoodNovel 完結

今年のこどもの日は、夫と一緒に私の実家で過ごす約束をしていた。 ところが、家を出る直前になって、夫が突然言った。 「やばい。また住所変えるの忘れてた。荷物、さゆりのところに届いちゃった!」 一瞬、体が固まった。 結婚して三年。夫はずっと、通販サイトのデフォルトの配送先を変更しないままだった。 ネットで買った電子レンジが元カノの家に届いたときは、「ちょうどあいつも電子レンジが壊れたって言ってたし」そう言って、そのまま彼女にあげた。 私への結婚記念日のプレゼントを元カノが受け取ったときは、「一度受け取られたものを返してもらうのも気まずいだろ」と言って、取り戻そうともしなかった。 バレンタインデーに、デリバリーアプリで私宛てに注文したはずのバラまで、元カノのもとへ届けられた。 そのときも夫は、「一度人の手に渡った花なんて、お前に渡せないだろ。あいつにやればいいよ」と言った。 今回、こどもの日に実家へ持っていく贈り物を選んだときは、半月も前から何度も念を押していた。 それなのにまた、元カノの家に送っていた。 私はできるだけ感情を抑えて言った。 「今から車で取りに行ってきて」 夫は途端に顔をしかめた。 「もう受け取ったんだぞ?今さらどうやって返してもらうんだよ。実家に行く途中で、適当に手土産を買えばいいだろ」 「取り返してきて」 私は譲らなかった。 すると夫は、あからさまに苛立った声を上げた。 「いい加減にしてくれないか?なんでお前はいちいちそんな面倒くさいんだよ」 元カノの家に荷物が届くたび、取り返してほしいと言うと、いつも返ってくるのはこの言葉だった。 爪が食い込むほど強く、手のひらを握りしめる。夫は乱暴にドアを閉め、そのまま出ていった。 私は頬を伝う涙を拭うと、弁護士にメッセージを送った。 【祝日なのに申し訳ありません。離婚協議書の作成をお願いできますでしょうか。よろしくお願いいたします】

チャプター (1)

第1章

今年のこどもの日は、夫と一緒に私の実家で過ごす約束をしていた。 ところが、家を出る直前になって、夫が突然言った。 「やばい。また住所変えるの忘れてた。荷物、さゆりのところに届いちゃった!」 一瞬、体が固まった。 結婚して三年。夫はずっと、通販サイトのデフォルトの配送先を変更しないままだった。 ネットで買った電子レンジが元カノの家に届いたときは、「ちょうどあいつも電子レンジが壊れたって言ってたし」そう言って、そのまま彼女にあげた。 私への結婚記念日のプレゼントを元カノが受け取ったときは、「一度受け取られたものを返してもらうのも気まずいだろ」と言って、取り戻そうともしなかった。 バレンタインデーに、デリバリーアプリで私宛てに注文したはずのバラまで、元カノのもとへ届けられた。 そのときも夫は、「一度人の手に渡った花なんて、お前に渡せないだろ。あいつにやればいいよ」と言った。 今回、こどもの日に実家へ持っていく贈り物を選んだときは、半月も前から何度も念を押していた。 それなのにまた、元カノの家に送っていた。 私はできるだけ感情を抑えて言った。 「今から車で取りに行ってきて」 夫は途端に顔をしかめた。 「もう受け取ったんだぞ?今さらどうやって返してもらうんだよ。実家に行く途中で、適当に手土産を買えばいいだろ」 「取り返してきて」 私は譲らなかった。 すると夫は、あからさまに苛立った声を上げた。 「いい加減にしてくれないか?なんでお前はいちいちそんな面倒くさいんだよ」 元カノの家に荷物が届くたび、取り返してほしいと言うと、いつも返ってくるのはこの言葉だった。 爪が食い込むほど強く、手のひらを握りしめる。夫は乱暴にドアを閉め、そのまま出ていった。 私は頬を伝う涙を拭うと、弁護士にメッセージを送った。 【祝日なのに申し訳ありません。離婚協議書の作成をお願いできますでしょうか。よろしくお願いいたします】 1 私は手土産を買い直し、一人で実家へ向かった。今日はこどもの日だ。 両親は当然、不思議そうな顔をした。 「清晃くんは?一緒に来るって言ってただろう?」 「二人とも、何かあったの?」 私は笑顔を作った。 「ごめんね、お父さん、お母さん。急に会社から連絡があって、仕事になっちゃったんだって」 両親はすぐに納得してくれた。 「仕事なら仕方ないわね」 けれど私は、スマホに表示された夫の元カノ――雨宮さゆり(あまみや さゆり)のInstagramを見つめていた。 投稿には、一言のコメントと九枚の写真。 【彼が用意してくれたサプライズ!こんなに考えてくれてたなんて嬉しい!】 私が何日も調べてようやく選んだ、山の幸を使った詰め合わせ。 それがすべて開封され、調理されていた。 きれいな皿に盛りつけをしている、一組の手。すらりと長い指。くっきりと浮いた関節。そして、右手の親指に残る一本の傷痕。 ひと目でわかった。夫――高瀬清晃(たかせ きよあき)の手だ。 それと同時に気づいた。左手の薬指から、結婚指輪が消えている。 外した跡すら残っていなかった。 私たち共通の友人が、その投稿にいいねを押し、コメントを残している。 【だから前から言ってるじゃん。二人、結婚しちゃえばいいのに!】 私はその投稿に、そっと「いいね」を押した。 すると、すぐに清晃からメッセージが届いた。 【高瀬柚葉(たかせ ゆずは)、せっかくの休みなのにお前が俺を追い出したんだろ。だからって道端で飯食えっていうのか?】 【俺に文句言うだけならまだしも、さゆの前でまで騒いで恥かかせるなよ。ほんとみっともない】 並んでいるのは、私を責める言葉ばかり。 「いいね」を一つ押しただけで、いったい何が「騒いだ」ことになるのか、私にはわからなかった。 それに―― 『さゆ』 清晃は元カノのことを、いつも親しげにそう呼ぶ。 なのに、私にはそんな特別な呼び方はない。 以前、私にも何か二人だけの呼び名が欲しいと伝えたことがある。けれど清晃は、まるで気にも留めなかった。 「昔からそう呼んでるんだから仕方ないだろ。ただの呼び方じゃん。 いちいち気にしすぎなんだよ」 私は画面を上へスクロールし、これまでの清晃とのやり取りを遡った。 【ミルクティー、まだ届かないんだけど。もう二時間以上経ってるよ。配達員さんに何かあったんじゃない?確認してみてくれる?】 【住所変えるの忘れてた。さゆの家に届いた】 【デフォルトの届け先、うちに変えてくれない?彼女の住所もスマホから消してほしい】 【たかがミルクティー一杯だろ。そんなヒステリックになるなよ、みっともない。自分でもう一杯頼めばいいじゃん】 でも、春限定の新作ミルクティーを買ってくれると言い出したのは、清晃のほうだった。 私は二時間以上も楽しみに待っていた。 結局、期待を裏切られたうえに責められた。 さらに前まで遡る。 【ねえ、もうすぐ十二時だよ。クリスマス終わっちゃうよ?用意してるって言ってたサプライズは?】 【また届け先変えるの忘れて、さゆの家に送った。今度埋め合わせする】 ………… いったいいつからだろう。 私と清晃のメッセージは、こんなやり取りばかりになっていた。 宅配便の届け先を間違える。デリバリーの住所も間違える。 今年のゴールデンウィークは一緒に私の実家へ行こうと、去年から約束していた。 それなのに清晃は、私の両親への贈り物をさゆりの家へ送り間違えた。挙げ句の果てには、自分までさゆりの家へ行き、彼女と一緒に休日を過ごしている。 私は、結婚指輪を外した清晃の手が写る写真を黙って見つめた。 自分がどうしようもなく滑稽に思えた。 もしかすると、何度も繰り返された宅配便の「送り間違い」も、デリバリーの「届け先間違い」も、忘れていたわけでも、うっかりしていたわけでもなかったのかもしれない。 最初から、清晃が何かを届けたかった相手は、元カノただ一人だったのではないか。 間違っていたのは住所じゃない。訂正されるべきだったのは――私のほうだ。 そのとき、スマホが二度震えた。清晃とのトーク画面を閉じる。 連絡していた弁護士からだった。 【高瀬様、こんにちは。連休中に失礼いたします。離婚協議書が完成しましたので、お送りいたします】 両親に別れを告げ、私は自宅へ戻った。 弁護士から送られてきた離婚協議書を印刷し、今まさに離婚届に署名しようとした、そのとき。 清晃が帰ってきた。両手に持っていた二つの紙袋を、私に差し出す。 「あんな詰め合わせ、どこでも買えるだろ。食べられたくらい、もういいじゃん。それより、お義父さんとお義母さんに買った服はちゃんと取り返してきたから。 今回は俺が悪かったよ。夜、フレンチ連れてってやるから。それで埋め合わせってことで、いいだろ?」 私は何も言い返さなかった。両親には持病がある。だからこそ、あの詰め合わせは原材料まで一つひとつ確認して、何日もかけて選んだものだった。あの商品を扱っているのは、あの店だけだ。 どこにでも売っているものなんかじゃない。 けれど、それを清晃に説明することもしなかった。 私がフレンチを好きではないことも。 もう何度も伝えているからだ。 私のことなんて、何度繰り返しても、清晃が覚えることはない。 ただ私のことを、面倒くさい、神経質だ、いちいちうるさい、そう思うだけ。 もう、どうでもよかった。 2 紙袋を開けると、中に入っていた服はどれも一度開封されていた。 タグは切り取られ、ベージュのカジュアルパンツには、食べ物の汁がついた跡が残っている。 乾いてはいたが、かなり目立った。 これでは返品もできない。 その染みを見つめていると、まるで散々に荒れ果てた、この三年間の結婚生活を見ているようだった。 「この服、誰が開けたの?」 清晃は一瞬言葉に詰まり、それから少し態度を軟らかくして説明した。 「さゆだよ。荷物が届いたから、自分へのプレゼントだと思って開けちゃったらしくて……」 私は淡々と尋ねた。 「開けただけじゃなくて汚したものを、私の両親に渡せって持って帰ってきたの?」 すると清晃は、たちまち苛立った顔になった。 「もう開けたものは仕方ないだろ!タグも切っちゃったんだから返品できないし。 その服、お義父さんとお義母さんのサイズだろ。他の人じゃ着られないんだから。 お前が渡したくないなら捨てればいいだろ。それでいい?」 他の人じゃ着られない。 その「他の人」が誰なのかなんて、聞くまでもなかった。 真相なんて、笑ってしまうほど単純だった。 さゆりの両親にはサイズが合わなかった。だから、私の両親に渡すために持ち帰ってきた。 もしサイズが合っていたなら、この二着も今まで何度も「送り間違えた」荷物と同じように、そのままさゆりのものになっていたのだろう。 私は服を紙袋に押し戻した。 「そっちで処分して」 そう言って書斎へ向かおうとすると、清晃に呼び止められた。 「もう機嫌直せよ。謝るために、わざわざいいフレンチ予約したんだから。 せっかくの連休なんだし、こんな些細なことでいつまでも喧嘩するのやめよう。な?」 そのまま腕を引かれ、私は家を出た。 だが清晃が予約した席に着くと、そこにはすでに一人の女性が座っていた。 上品なワンピースに、細いストラップの華奢なヒールサンダル。メイクも完璧で、髪の一本一本まで丁寧に整えられている。 一方、突然連れ出された私は、ゆったりした長袖Tシャツにパンツという普段着姿。長い髪も、適当にクリップでまとめただけだった。 高級フレンチには、どう見ても場違いだ。 シャツにジャケット姿の清晃と、きれいに着飾ったさゆり。二人で並んでいると、まるでデートを楽しむ恋人同士に見えた。 むしろ私のほうが、厚かましく二人の食事についてきた邪魔者のようだった。 私は何も聞かなかった。私へのお詫びのために予約したはずの店に、どうしてさゆりが先に来ているのか。 尋ねるまでもなく、清晃は私を席に座らせながら説明した。 「さゆ、連休なのに実家に帰れないんだって。この店もずっと来たがってたみたいだから、一緒にどうかなと思って呼んだんだ。 さゆはまだ子どもっぽいところがあるからさ。お前が大人になって、少しくらい大目に見てやってよ」 私は清晃を見つめた。 結婚前、彼は言っていた。元カノは私より半年ほど年上だ、と。 そのさゆりを「子供っぽいから」と言い、私に我慢しろと言う。 本当に忘れているのか、それとも、ただ露骨に彼女をひいきしているだけなのか。もう、考える気にもなれなかった。 私がフレンチを好きではないことは覚えていない。 なのに、さゆりがこの店にずっと来たがっていたことは覚えている。 この店を予約したとき、清晃の頭に浮かんでいたのは、いったい誰だったのだろう。 その問いを口にすることはなかった。 聞いたところで、何の意味もない。 私は清晃の向かいに腰を下ろした。清晃とさゆりは隣同士に座り、店員からメニューを受け取ると、私がいることなど忘れたように肩を寄せ合って料理を選び始めた。 「さゆ、マカロン好きだったよな。頼もうか」 「アキくんも好きだったでしょ?二つ頼もうよ」 「このエスカルゴ、おいしそうだな」 「絶対さゆ好きだと思った。この店、エスカルゴが有名なんだよ。きっと気に入るよ」 …… 二人がひと通り注文を終え、メニューを店員に返してから、ようやく私の存在を思い出したらしい。 清晃がわざとらしく咳払いをした。 「まあ、三人で食べるには十分頼んだから」 さゆりは甘ったるい笑みを浮かべた。 「柚葉さん、ごめんなさい。私、アキくんと食べ物の話を始めると、つい夢中になっちゃって」 アキくん。 私は心の中で、その呼び方をそっと繰り返した。 清晃とは二年付き合い、結婚して三年。さゆりと別れてからは、もう六年近く経っている。 それでも彼女は、今も当然のように親しげな呼び名で彼を呼ぶ。清晃も、それを当たり前のように受け入れている。 なのに以前、私がふざけて「きよくん」と呼んだときは、「やめろよ、気持ち悪い」と眉をひそめて、「普通に呼んでくれ。鳥肌立つから」とまで言った。 やがて料理が運ばれてきた。 定番のエスカルゴ、フォアグラ、生牡蠣にムール貝。 それから、サーモンのポシェ。 テーブルに並んだ料理を見つめたまま、私はナイフにもフォークにも手を伸ばさなかった。 向かいのさゆりは、料理が運ばれ始めたときからずっと嬉しそうだった。 一皿来るたびに小さく歓声を上げ、ナイフとフォークを握りしめて、待ちきれないとばかりに目を輝かせている。 清晃は慣れた手つきでフォアグラを切り分け、さゆりの皿に載せた。 さゆりは驚いたように顔を輝かせ、「ありがとう、アキくん」と嬉しそうに笑った。 それから清晃は私を見て、眉をひそめた。 「お前の好きなサーモンも来たぞ。なんで食べないんだ?」 私は静かに答えた。 「私、魚介アレルギーだから。サーモンなんて食べられないわ」 清晃の表情が一瞬固まった。 3 けれど次の瞬間、清晃が私に向けたのは、責めるような視線だった。 「忘れてた。なんで先に言わないんだよ。 それに魚介が食べられなくても、牛肉のカルパッチョだってあるだろ?」 私は、生もの自体ほとんど口にしない。 以前の清晃は、それもちゃんと覚えていた。いつからだろう。私のことを、何もかも忘れてしまったのは。 ふと、自分がここに座っている意味がわからなくなった。 私は立ち上がり、そのまま店を出た。 背後から、さゆりの心配そうな声が聞こえる。 「柚葉さん、怒っちゃったのかな?」 続いて、清晃が声を潜めて答えた。そこには、隠そうともしない苛立ちが滲んでいた。 「ほんと、どんなときでも空気悪くするの得意だよな。放っとこう。俺たちで食べよう」 私は一人でレストランを出ると、タクシーを拾って家へ帰った。 今度こそ、もう何の期待も残っていなかった。 まず会社に退職の意思をメールで伝え、それから荷物をまとめ始めた。 最初に手をつけたのは書斎だった。 清晃は職業柄、仕事を家に持ち帰ることができない。だから、この部屋を使っていたのはほとんど私だった。 本も、絵も、ノートも。ここにあるものは、ほぼすべて私のものだ。 半分ほど片づけ終えたころ、清晃が帰ってきた。 玄関に入ってきたときには笑っていたのに、私の姿を見るなり、その笑みが消えた。 代わりに浮かんだのは、深い失望だった。 「柚葉、お前いつからそんなふうになったんだよ?せっかくの休みなのに、朝から晩までずっと揉めて。 全員が嫌な気分にならないと気が済まないのか?」 あまりにも馬鹿馬鹿しくて、笑いそうになった。 ここまで来てもまだ、清晃の中では私が「騒いでいる」ことになっている。私がわざと、みんなの気分を悪くしているのだと。 もう何も言い返す気になれなかった。 「清晃、私たち離婚しよう――」 そう口にしたその瞬間、清晃のスマホが鳴った。 さゆり専用の着信音だった。 明るく軽やかな、短いメロディー。 清晃は普段、スマホの着信音すら初期設定のままだ。わざわざ変えるの面倒だからと、いつもそう言っていた。 なのに、さゆりだけは特別だった。 結婚して三年。その間、清晃はスマホを三度買い替えた。新しいスマホを手にするたび、真っ先に設定するのが、このメロディーだった。 以前、気になって聞いたことがある。 すると彼は、「大学のころからずっと使ってる音なんだ。もう慣れてるから」そう説明した。 後になって知った。それは、さゆりから電話がかかってきたときだけ鳴る音だった。 私は、清晃が一瞬の迷いもなく電話に出るのを見ていた。 相手が何を言ったのかはわからない。ただ、清晃はすぐさま踵を返し、玄関へ向かった。 「大丈夫。すぐ行くから!」 そして勢いよくドアが閉まった。 私が「離婚しよう」と言ったことなど、耳に入っていなかったのだろう。 あるいは、聞こえていてもどうでもよかったのかもしれない。 誰もいなくなったリビングを見つめながら、ふと思った。 もしかすると、私と清晃の結婚は、最初から間違っていたのかもしれない。 さゆりだけのために設定された着信音。 どうしても消そうとしなかった、彼女の配送先住所。 私へのものも、私の両親へのものも、贈り物は何もかも、さゆりのもとへ届いた…… 清晃はこんなにもわかりやすく態度に出していた。 それなのに私はずっと期待していた。いつか私をちゃんと見てくれる。いつか気づいてくれる。いつか変わってくれる。そう信じていた。 結局、何一つ変わらなかった。 ただ私だけが、三年間を無駄にした。まるで笑い話だ。 書斎の荷物をすべて箱に詰め終えると、私は寝室へ戻り、シャワーを浴びて寝る支度をした。 シャワーから出てきたころには、もう午前一時近かった。ようやく清晃から一通のメッセージが届く。 【さゆのところでちょっとトラブルがあった。今日は帰らない】 私は返信しなかった。そのまま画面を消してベッドに入り、ほどなく眠りについた。 翌日は服や日用品を片づけ始めた。 今まで意識したことはなかったが、いざ荷物をまとめてみると気づく。この三年間、清晃は何度も何度も、私のものをさゆりの家へ送った。 そのたびに私は、意地とも悔しさともつかない気持ちを抱えて、もう同じものは買わないと決めていた。 お揃いのスリッパ、お揃いの部屋着、気に入っていた小さなインテリア雑貨や、観葉植物…… 洗面台には、まったく同じ型の電動歯ブラシが二本並んでいる。 最低限の機能しかない、見た目も野暮ったくて使いにくいモデルだった。 結婚したばかりのころ、私はかなり時間をかけて、機能も充実していて、デザインも気に入った電動歯ブラシを選んだ。いざ注文しようとしたとき、清晃が言った。「俺が買っとくよ」 そして案の定、それもさゆりの家へ届いた。 返してもらってと言っても、清晃は聞かなかった。腹を立てた私は、その日のうちに近所のスーパーへ行き、適当にこの二本を買った。 見分けがつくように、自分のほうには防水シールを貼った。 そして意地になって、新しいものを買おうとはしなかった。 毎日洗面台に並んだこの二本を見るたびに、清晃も少しは後ろめたくなると思っていた。悪かったと思ってくれるかもしれない。いつか、私が選んだあの電動歯ブラシをもう一度注文してくれるかもしれない。そんなふうに思っていた。 けれど、あの商品は今では三世代もモデルチェンジしている。それでも清晃は、何とも思っていなかった。 私たちはずっと、この使いにくい二本を使い続けていた。 私はしばらく、並んだ歯ブラシを黙って見つめた。それから二本まとめて、ゴミ箱へ捨てた。 すべての荷造りが終わったころ、清晃から電話がかかってきた。 「前に話しただろ?会社から出るって言ってた特別ボーナス。今日振り込まれたんだ。同僚たちが、奢れ奢れってうるさくてさ。 お前も来いよ。ホテルの場所、送るから」 断ろうとした。 けれど、その直後「うちの親も来るから。遅れるなよ」 そう言われ、私は一瞬黙った。結局、断る言葉は口にしなかった。清晃はそのまま電話を切った。 離婚すると決めた以上、義父母にはきちんと顔を合わせて伝えておいたほうがいい。 私は集荷に来た宅配業者に、まとめた荷物をすべて預けた。 それから母に電話をかける。「荷物が届くから、受け取っておいて。私もあとで帰るね。そのときちゃんと話すから」 最後にもう一度だけ、部屋を見渡した。結婚してから三年間、清晃と一緒に暮らしてきた、この家。 けれど、もう何の未練もなかった。私は振り返ることなく、家を出た。 4 清晃が予約していたのは、大きな個室だった。テーブルが二卓並び、三十人近い人たちでぎっしり埋まっている。 義父母が座るテーブルには、さゆりの姿もあった。 さゆりは義父母のすぐ隣に座り、その右隣には清晃がいる。 店員に案内されて個室の扉を開けたとき、ちょうど清晃がさゆりのほうへ顔を寄せ、何かを話しているところだった。 二人の距離は近く、どちらの顔にも楽しそうな笑みが浮かんでいた。 私が入ってきたことに気づいた瞬間、部屋の空気が一瞬だけ静まる。 清晃は反射的に上半身を引き、さゆりとの距離を取った。 まるで何かを取り繕うように立ち上がり、私のところまで歩いてくる。 「やっと来たか」 そう言うと「お前待ちだったんだよ。早く座ろう」と促した。 私は軽く頷き、まず義父母のもとへ行って挨拶をした。 すると清晃が、わざわざ説明する。「母さんがさゆに会いたいって言うから、呼んだんだ」 さらに私の耳元へ顔を寄せ、声を潜めた。「今日は同僚もこんなに来てるんだし、一人くらい増えたって変わらないだろ?」 私は一歩下がり、清晃から距離を取った。 「好きにすればいいわ」と淡々と答える。 私の席は清晃の右隣。そして左隣には、さゆりが座っていた。 ふと横を見ると、さゆりの膝の上に置かれているカラフルなバッグが目に入った。去年、私が一目惚れしたものだ。 清晃が「じゃあ俺が買ってやるよ」と言ったのに、結局さゆりの家へ届いた。 テーブルの上に置かれたいちご柄のベアタンブラーも、私が欲しがっていたものだった。 けれど何より目についたのは、さゆりの手首だった。有名ジュエリーブランドが去年のバレンタインに発売した、博物館との限定コラボのゴールドブレスレット。 あのシリーズが発表されたとき、私はすぐに気に入った。 しかも発売日は偶然にも、清晃との二度目の結婚記念日だった。 「記念日に俺が買ってあげる」そう約束していた。 だがそれもさゆりの家へ届いた。 返してもらってほしいと頼んでも、清晃は聞き入れなかった。 そのことで大喧嘩になり、一か月もまともに口を利かなかった。 そして今、そのブレスレットは、何の後ろめたさもないように、堂々とさゆりの手首を飾っている。 ほどなく料理が運ばれ始めた。 集まっているのは、ほとんどが清晃の同僚や友人たちだ。広い個室はすぐに賑やかな笑い声で満たされた。 食事も酒も進んだころ、誰かがふざけ半分に声を上げた。 「何年経っても、清晃とさゆちゃんってやっぱりお似合いだよな!」 「あのとき変なすれ違いさえなかったら、とっくに結婚してたんじゃない?今ごろ子どもだって何人かいたかもね!」 「しかも清晃、何年経ってもさゆちゃん専用の着信音だけは変えてないんだろ?それが愛じゃなかったら何なんだよ!」 さゆりは頬を赤らめ、恥ずかしそうに俯いた。 清晃は、「お前ら、酒入ったからって適当なこと言うなよ」と一度だけたしなめた。 けれど周囲の冷やかしはますます大きくなっていく。清晃も困ったように笑うだけで、本気で止めようとはしなかった。 私は何の表情も浮かべず、黙って席に座っていた。 やがて、みんなの食事がひと段落したころ。 私はバッグから二部の離婚協議書と離婚届を取り出し、清晃の前に置き、その上にペンを一本乗せた。 そしてまず、義父母を見た。 「お義父さん、お義母さん。すみません。今日ここへ来たのは、お二人にきちんとお伝えしておきたいことがあったからです。私、清晃と離婚することにしました」 それから清晃へ視線を移した。 「私はもう署名してあるから、あなたも確認して、問題なければサインして。 サインが済んだら、役所が開いている日に離婚届を出しに行こう」

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