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心の声が教えてくれた真実
あの年、川に落ちた時、母・清田千佐子(きよた ちさこ)は先に妹・清田心海(きよた ここみ)を助けた。 そのあと、救助隊が私・清田美波(きよた みなみ)を引き上げた。しかし、長時間の呼吸停止によって、脳に深刻なダメージを負い、私の知能は5歳の水準で止まってしまった。 それを境に、人の心の声が聞こえるようになった。 それから13年間、父・清田昌大(きよた まさひろ)と母は、私を一番愛している、今まで苦労をかけた分を償いたいと、口癖のように言ってきた。 けれど、聞こえてくる心の声は、愚痴ばかりだ。 【バカの世話には、もううんざりだ!】 【どうして私たちが、こんな思いをしなきゃいけないの】 都京大学の合格通知書を受け取った日、心海は両親に願いを聞いてほしいとねだった。 「こんなに頑張ったんだからさ。みんなで旅行に行こうよ。お父さんとお母さんと私の3人で」 こちらを見る心海の目に浮かぶ感情は、知能の低い私には理解できないほど複雑だ。 【13年前、どうして死ななかったの。今度こそ、家で一人、飢えて死ねばいい!】 両親の顔に、わずかな迷いが浮かぶ。やがて母は私の頭をそっと撫でる。 「美波はいい子にして、お留守番しててね。お母さんが帰ってきたら、遊園地に連れていってあげるから」 でも、母はまた嘘をついている。聞こえてくる心の声は、あまりにもはっきりしている。 【今度こそ、素直に死んでくれたら、私たちは楽になれる】
チャプター (1)
第1章
あの年、川に落ちた時、母・清田千佐子(きよた ちさこ)は先に妹・清田心海(きよた ここみ)を助けた。
そのあと、救助隊が私・清田美波(きよた みなみ)を引き上げた。しかし、長時間の呼吸停止によって、脳に深刻なダメージを負い、私の知能は5歳の水準で止まってしまった。
それを境に、人の心の声が聞こえるようになった。
それから13年間、父・清田昌大(きよた まさひろ)と母は、私を一番愛している、今まで苦労をかけた分を償いたいと、口癖のように言ってきた。
けれど、聞こえてくる心の声は、愚痴ばかりだ。
【バカの世話には、もううんざりだ!】
【どうして私たちが、こんな思いをしなきゃいけないの】
都京大学の合格通知書を受け取った日、心海は両親に願いを聞いてほしいとねだった。
「こんなに頑張ったんだからさ。みんなで旅行に行こうよ。お父さんとお母さんと私の3人で」
こちらを見る心海の目に浮かぶ感情は、知能の低い私には理解できないほど複雑だ。
【13年前、どうして死ななかったの。今度こそ、家で一人、飢えて死ねばいい!】
両親の顔に、わずかな迷いが浮かぶ。やがて母は私の頭をそっと撫でる。
「美波はいい子にして、お留守番しててね。お母さんが帰ってきたら、遊園地に連れていってあげるから」
でも、母はまた嘘をついている。聞こえてくる心の声は、あまりにもはっきりしている。
【今度こそ、素直に死んでくれたら、私たちは楽になれる】
第1話
翌日、両親はさっそく旅行の荷造りを始めた。
母は冷蔵庫の中を、隙間ひとつ残さず食べ物で埋めていく。前日の残り物や、賞味期限が切れかけた牛乳を、一番上の目立つ場所に並べる。新鮮なスペアリブやイチゴは、一番下の奥へ押し込んでいく。
そして、私に電子レンジの使い方を教え始める。上のボタンを押すんだと言ったかと思えば、今度は下のボタンだと言う。何度も説明するうちに、手順はすっかり混乱している。
「お腹が空いたら、一番上のお弁当を取って、ボタンを押して温めるのよ。わかった?」
母は優しく笑う。しかし、心の中の声はこう言っているのだ。
【どうせ傷みやすいものばかりだし、ブレーカーを落とせば温めることもできない。お腹を壊しても、私たちのせいにはならない。
バカなんだから、電子レンジなんて使えるわけないわ。冷たいまま食べてお腹を壊してもしょうがないわ】
父がしゃがみ込み、子供用スマートウォッチを私の腕に着けてくれる。着信音量を一番小さくする。
緊急連絡先を、心海の番号に変更する。さらに、3回連続で押さないと発信できないように設定する。画面を指先でなぞりながら、心配そうな口調で言う。
「何かあったら、ここを押して、お父さんかお母さんに電話するんだ。いつでもそばにいるからな」
その言葉の裏で、こんなことを考えている。
【かかってきても、まずは心海につながる。心海がそのまま切って、間違えて切っただけだと言えばいい。
もし本当につながってしまったとしても、海辺で電波が悪くて聞こえなかったと言えば、誰にも責められないさ】
心海が近づいてくる。玄関から一番遠い場所まで私を連れていき、小さな椅子に座らせる。わざわざ私のスリッパを蹴り飛ばし、下駄箱の一番上に放り投げる。
そして、毛の抜けた古いぬいぐるみを私に押し付ける。顔には笑みを浮かべている。
「お姉ちゃん、いい子にしててね。絶対に外へ出ちゃダメだよ。
外には子どもをさらう悪い人がいるんだから。勝手に出たら、もうお父さんやお母さんに会えなくなっちゃうよ」
でも、心海の心の中では、悪意に満ちた声が響く。
【怖がって、玄関から一歩も出られなくなればいい。飢えて死んだって誰にも気づかれない】
私はおとなしく頷く。母の胸に顔を埋め、甘えるように頬をすり寄せる。
「美波、ちゃんと覚えたよ。美波、いい子だもん」
荷造りを終えると、道中で食べるお菓子を買ってくると言って、両親は心海を連れて家を出る。玄関のドアが閉まる。
ドアスコープから3人の姿を覗き見る。両親は廊下で話しながら、エレベーターへ向かっていく。
「心海が好きなグミやチョコパイを買っていこう。
あとでブレーカーのスイッチを拭いておくのを忘れないでね。指紋を残しちゃダメよ」
父が相槌を打つ。
「ああ。手袋をつけて落としたあと、もう一度拭くさ。老朽化でショートしたことにすれば、管理会社が調べても絶対にわからない」
心海はぴょんぴょんと跳ねながら、わざとドアスコープのほうを振り返る。勝ち誇ったように笑っている。
一人きりになった私は家を出て、向かいに住む長井桂子(ながい けいこ)の家のインターホンを鳴らす。
出てきた桂子からは、洗剤と小麦粉の匂いがする。手にはまだ粉がついている。どうやら何かを作っている最中らしい。
ドアの前に立つ私を見て、桂子は少し驚いた様子を見せる。慌てて手の粉をエプロンで払い落とす。しゃがみ込んで、私の冷たい頬に触れる。
「美波ちゃん、どうしてこんなに冷たいの?ずっと外で待ってたの?お父さんとお母さんは?」
顔を上げ、無邪気な様子で答える。
「お父さんとお母さんと心海、お出かけするの。しばらく帰ってこないんだって。美波、おうちで一人ぼっち」
桂子の顔色が一瞬で変わる。すぐに私を部屋の中へ招き入れ、肉まんを持ってきてくれる。
「どれくらい行くの?誰かに美波ちゃんの面倒を見てもらうよう頼んでないの?」
熱々の肉まんを両手で抱え、少しずつかじる。そして、指を一本ずつ折りながら数えていく。7まで数えたところで間違えてしまい、また最初から数え直す。
「心海がね、7日間行くって言ってた。
お母さんは、美波にいっぱいご飯を残したから、お家でいい子にして待ってるの」
桂子の表情が、みるみる険しくなる。彼女の心の声がはっきりと聞こえてくる。
【無責任にもほどがある。5歳程度の知能しかない子を、7日間も一人で家に置いていくなんて。もし何かあったら、どうするつもりなの!】
第2話
私は彼女の手をそっと揺らす。
「おばさん、美波、暗いの怖い。おうちが真っ暗になったら、おばさんのところに来てもいい?」
桂子は、私の頭を優しく撫でる。
「もちろんいいわよ。この数日は、毎日ご飯を持ってきてあげるし、一緒に遊んであげるからね」
私は大きくうなずく。桂子の首に抱きつき、笑顔を見せる。「ありがとう、おばさん!」
桂子は、まず私を家まで送り届けてくれる。そして、自分の携帯番号を大きく書いたメモを私のポケットにそっと忍ばせる。さらに、小さなホイッスルを私に渡す。
「怖くなったら、これを吹いてね。おばさんは向かいにいるから、聞こえるよ」
言い終えると、桂子はそのまま管理人室へ向かう。管理人の佐々木信夫(ささき のぶお)に声をかける。
「402号室の清田さん夫婦、旅行に出かけるんですけど、5歳くらいの知能しかない娘さんを一人で家に置いていくみたいなんです。
見回りの時は少し気にかけてあげて、何かあったら私を呼んでください。私は向かいの401号室の長井桂子です」
信夫はもともと私のことを知っている。以前、両親が私をマンションの下に置き去りにしたときも、彼が30分ほど一緒に待っていてくれたのだ。
信夫は何度も頷く。
「任せてください、長井さん。毎日4階を少し多めに巡回します。何かあれば、すぐに知らせますから」
さらに桂子は、マンションの設備管理員をしている夫・長井修(ながい おさむ)にも相談し、管理会社に我が家の合鍵を預かってもらえるよう手配した。両親が外から鍵をかけてしまい、私が内側から開けられなくなったときのためだ。
そのうえ、自分の携帯番号を同じ階の住人全員に伝えた。もし私の家から泣き声が聞こえたら、すぐに連絡してほしいと頼んだ。
これらの手配を終えるころには、1時間以上経っていた。
私はリビングのカーペットに座ってレゴで遊んでいる。そのとき、玄関から鍵が回る音が聞こえる。両親と心海が買い物を終えて帰ってきたのだ。
父は大きなビニール袋を二つ提げていて、中には心海の好きなお菓子ばかりが詰まっている。母は新しいピンク色のブランドのスーツケースを引いている。心海への合格祝いらしい。
玄関に入った心海は、真っ先にスーツケースへ駆け寄る。目を細めて嬉しそうに笑う。
「お母さん、最高!クラスのみんなもこのブランドのスーツケース持ってるんだよ。ずっと欲しかったの!」
母は愛おしそうに心海の頭を撫でる。
「うちの娘が都京大学に受かったんだもの。いいものを買ってあげないとね」
そこでようやく私の存在に気がついたように歩み寄り、取ってつけたように私の頭を撫でる。
「美波、いい子にしてた?勝手に外へ出たりしてなかった?」
私は、パーツが欠けたレゴを持ち上げて見せる。
「美波ね、お家を作ったの。お母さんのお家だよ」
母は「えらいわね」と一言褒めると、すぐに心海の新しい服を片づけるため、背を向ける。
……
その日、両親の寝室の明かりは、夜遅くまでついたままだ。私は片耳のちぎれたクマのぬいぐるみを抱きしめ、二人の部屋の前にしゃがみ込む。すると、母が声を潜めて話しているのが聞こえる。
「傷みやすい料理を一番取りやすいところに置いといたわ。3日もすれば傷むわね。温めることもできないし、絶対にお腹を壊すはずよ」
父も声を落としている。
「水道の元栓はもう閉めてある。あの子の力じゃ開けられない。ブレーカーなら出る前に落とせばいい。スイッチをきれいに拭いておけば、誰にも分からない。
帰ってきたら、あの子が間違えて元栓をいじったことにして、ブレーカーが落ちたって言えばいい。俺たちには関係のない話だ」
心海の部屋にも明かりがついている。友達と電話をしているらしく、声が小さく漏れ聞こえる。
「都京大学に受かったんだ。お父さんとお母さんのお金はいずれ全部私のものになるんだから……あんなバカに使うなんて、もったいないじゃん」
ぬいぐるみを抱えたまま、リビングに置かれた私のソファベッドへと戻る。少しも怖くない。桂子が守ってくれると知っているから……
出発の日の朝。両親は大きなスーツケースを二つ引きずり、玄関に並んで立っている。
心海はリュックを背負い、隠しきれない笑みを浮かべている。手には、都京大学の合格通知書をしっかりと握りしめている。私のそばを通り過ぎるとき、わざとその通知書を高く掲げてみせる。彼女の心の声が聞こえる。
【帰ってきたら、この家にもうあなたの居場所なんてない。全部、私のものになる。
お父さんとお母さんの愛情を、もう誰にも分けなくていい】
父は手袋をはめ、こっそりとブレーカーを落とす。スイッチを念入りに何度も拭き、指紋が残っていないことを確認する。さらに水道の元栓を閉め、同じようにきれいに拭き取る。
母は冷蔵庫のドアをほんの少し、開けっ放しにする。「換気しておかないと、中が蒸れちゃうからね」などと言っている。
心海は出かける直前、リビングにあるすべてのコップを隠す。そして、にこにこと笑いながら私に言う。
「お姉ちゃん、コップを割って手を切ったりしたら危ないからね」
しかし、彼女の心の中ではこう呟いている。
【喉が渇いても水が飲めなければいい。少しでも早く死んでくれればいいのに】
母が最後に私を抱きしめる。新しく買った香水の匂いがする。
「美波はお家でいい子にして待っててね。帰ってきたら、とびきり大きなイチゴのケーキを買ってきてあげるから」
私は大きく頷く。「うん!美波、おっきなイチゴのケーキを1個まるごと食べたい!」
私の返事に満足したように、3人は家を出る。玄関のドアが、バタンと音を立てて閉まる。続いて、鍵の回る音が聞こえる。わざわざ外から二重ロックをかけたのだ。
部屋の中は一瞬にして静寂に包まれる。すべての明かりが消え、テレビの画面も真っ暗になる。