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妹の「モルモット」として、私は海に沈められた
私、市之瀬千尋(いちのせ ちひろ)と双子の妹である千早(ちはや)は、顔立ちだけでなく体質までもがそっくりだった。 ただ、産まれてくる時、私が逆子だったせいで分娩に少し時間がかかり、妹は酸欠になって、生まれつき身体が弱くなってしまった。 それからというもの、私は妹のための「モルモット」になった。 ピーナッツアレルギーの疑いがある千早が「ピーナッツクリームパンを食べたい」と言い出した日。母は、アレルギー反応がどれほど危険なものかを確かめるために、私の口にピーナッツをひとつかみ無理やりねじ込んだ。 全身が赤く腫れ上がった私は、深夜2時に救急搬送され、緊急治療を受ける羽目になった。 中学の卒業式の日。千早がピアスを開けたいと言い出したが、ケロイド体質のせいで傷跡が残るのではないかと怖がった。 すると母はピアッサーを買い込み、私の耳たぶだけでなく軟骨にまで20個以上もの穴を開けた。妹の傷が正常に治るかどうかを「検証」するためだけに。 そして、18歳の誕生日を迎えた日。ずっと水を怖がっていた千早が、ふと「水泳を習いたい」と言い出した。母は躊躇うことなく、私を海へと突き落とした。 「千早のために試してきなさい。恐怖を克服して、ちゃんと泳げるようになるかどうかをね」 荒れ狂う波に呑み込まれながら、私はなぜか笑みを浮かべていた。 これで最後だね、お母さん。 あなたが私にくれた命。その借りは、この命で返すから――
チャプター (1)
第1章
私、市之瀬千尋(いちのせ ちひろ)と双子の妹である千早(ちはや)は、顔立ちだけでなく体質までもがそっくりだった。
ただ、産まれてくる時、私が逆子だったせいで分娩に少し時間がかかり、妹は酸欠になって、生まれつき身体が弱くなってしまった。
それからというもの、私は妹のための「モルモット」になった。
ピーナッツアレルギーの疑いがある千早が「ピーナッツクリームパンを食べたい」と言い出した日。母は、アレルギー反応がどれほど危険なものかを確かめるために、私の口にピーナッツをひとつかみ無理やりねじ込んだ。
全身が赤く腫れ上がった私は、深夜2時に救急搬送され、緊急治療を受ける羽目になった。
中学の卒業式の日。千早がピアスを開けたいと言い出したが、ケロイド体質のせいで傷跡が残るのではないかと怖がった。
すると母はピアッサーを買い込み、私の耳たぶだけでなく軟骨にまで20個以上もの穴を開けた。妹の傷が正常に治るかどうかを「検証」するためだけに。
そして、18歳の誕生日を迎えた日。ずっと水を怖がっていた千早が、ふと「水泳を習いたい」と言い出した。母は躊躇うことなく、私を海へと突き落とした。
「千早のために試してきなさい。恐怖を克服して、ちゃんと泳げるようになるかどうかをね」
荒れ狂う波に呑み込まれながら、私はなぜか笑みを浮かべていた。
これで最後だね、お母さん。
あなたが私にくれた命。その借りは、この命で返すから――
第1話
「お母さん、お願い、やめ……」
言葉を最後まで言い終える前に。
ドンッ!
背中を凄まじい力で押され、私は冷たい海へと突き落とされる。
目の前には荒れ狂う波。妹と同じく、私も水に対して尋常ではない恐怖心を抱いていた。
背後に恐ろしい魔物でも迫っているかのように、私は必死に手足をバタつかせ、波に抗う。
塩辛い海水が、容赦なく口や鼻に流れ込んでくる。
もがき苦しみながら、ようやく私は海へ続くスロープに立つ母のズボンの裾を掴むことができた。
「お母さん……助けて、死んじゃう!私、泳げないの!」
惨めな姿で、涙ながらに命乞いをする。
だが、母は顔色一つ変えずに足を振り上げ、私の肩を力任せに蹴りつけた。
バランスを崩した私は、再び冷たい海中へと転がり落ちる。
「千早が泳ぎたがってるんだから、あんたが先に練習しなさいよ。
あんたが克服すれば、千早にも安心してやらせられるでしょ?
ほんと身勝手な子。千早が病弱なのはあんたのせいなんだから!」
波は次から次へと私に襲いかかる。本能的に逃げ出そうともがくが、その行動が火に油を注いだのか、母はさらに激昂し、私を遠くへと蹴り飛ばした。
私がそれでも波打ち際にしがみつき、屈服しようとしないのを見て、母はしゃがみ込み、私の頭を直接手で押さえつけた。
「沈みなさい!さっさと沈むのよ!
大袈裟ね、たかが水泳じゃないの。何度か溺れれば、そのうち泳げるようになるわよ!」
次の瞬間、母の硬い靴のつま先が私の下腹部に容赦なく食い込み、お腹をえぐるような激痛が走る。
思わず両手でお腹を押さえようとした瞬間、巨大な波が私の顔面を激しく打ちつけた。そのまま、抗いがたい力に引きずられ、体は一気に沖へと流されていく。
「たす……ごぼっ……助け……て……」
必死に水面から顔を出そうとするが、鼻や口から大量の水が入り込み、激しくむせる。
咳き込むたびに、喉から胸にかけて焼けつくような痛みが走る。
肺にまで海水が流れ込み、意識が遠のきそうになる中。岸辺から、ふと妹の無邪気な笑い声が聞こえてきた。
「お父さん、お母さん、見てよ!お姉ちゃんったらすっごくマヌケ!
手足をバタバタさせちゃって、大きなタコみたい!」
続いて聞こえてきたのは、私には決して向けられたことのない、母のひどく優しい声。
「うちの千早をこんなに喜ばせるなんて、千尋にしては上出来じゃない」
苦しい……息ができない。
波は私をさらに遠く深い場所へと連れ去っていく。もう限界だった。
最後の力を振り絞り、私はかすれる声で叫ぶ。
「お父さん、お母さん、助けて……!
私、死んじゃう……!」
だが波は、母の嘲笑を乗せて届けながら、私をますます沖へと引きずり込んでいく。
「演技してんじゃないわよ!
あんたがお腹の中で千早の栄養を奪ったから、千早は病弱になったんでしょ!今まで散々苦しめてきたくせに!」
それが、私の罪なのだろうか。
でもお母さん、それは私が選んだことじゃない。
私はただ、生きたかっただけなのに。
どうして?どうして妹にはあれほど愛情を注ぐのに、私のことは仇のように憎むの?
次第に体の力が抜け、私はもがくのをやめた。
あの人たちが私を愛してくれないのなら。いっそ、思い通りにしてあげよう。
第2話
冷たい海水が全身を包み込み、見えない何かに足を引っ張られるように、私はどんどん下へと沈んでいく。
だが不思議なことに、あの胸を焼くような痛みは、次第に薄れていった。
あんなに私の命を奪おうと荒れ狂っていた波が、嘘のように優しくなる。温かくて、柔らかくて、まるで……お母さんの腕の中にいるみたいだ。
海底に揺れる海草、水面から差し込む光の破片。そして、果てしない暗闇の底へと沈みゆく自分の姿を、私は俯瞰するように見つめていた。
ああ、私、死んだんだ。
人は死後、本当に魂として残るのだと知った。私の意識はふわりと空を舞い、気付けば岸辺へと戻っていた。
ビーチパラソルの下で、千早は優雅にデッキチェアに横たわり、母がその口元へカットフルーツを運んでいる。
「やっぱり千早はいい子ね。昔から手がかからなくて。
千尋とは大違い。あの子はいつだって厄介事ばかり起こすんだから。
先週なんて、同級生を殴ったとかで学校から電話が来たのよ。休み明けに来てくださいって」
それを聞いた父が、怒りも露わに立ち上がる。
「ガキのくせにろくなことをしやがらない!親に迷惑ばかりかけやがって、あいつはうちの疫病神だ!
まったく、ろくでもない娘だ!あんな出来損ないになるくらいなら、あの時死んでいればよかったのはあいつの方だ!」
違う……!
そんなんじゃない!
私は同級生なんていじめてない。あいつらが先に千早に手を出してきたから、妹を守るためにやり返しただけなのに!
千早の体に触れて、本当のことを説明してほしいと頼もうとした。けれど伸ばした手は、彼女の体をすり抜けてしまう。
そうか……私はもう、死んでいるんだ。
次の瞬間、千早が涼しい顔で口を開いた。
「お姉ちゃんはいつもそうだよ。あちこちで弱い者いじめしてさ。
学校の不良たちと仲がいいのをいいことに、やりたい放題なんだもん!」
それを聞いた父は、さらに激昂する。
「一体誰に似てあんな恥さらしになったんだ!」
母は海面へちらりと目をやり、わずかに眉をひそめた。
「潮が満ちてきたわね。あのバカ娘、どこに行ったのかしら?まさか本当に溺れたんじゃ……」
だがすぐに、フンと鼻を鳴らす。
「まあ、あんなしぶとい子がどうにかなるわけないでしょ。いっそ死んでくれた方が、面倒がなくていいくらいよ」
死んでもなお、胸はこんなにも痛むのだと初めて知った。
心がぎゅっと締め付けられる。泣きたいのに、もう一滴の涙も流せない。
――お母さん、あなたの望み通りになったよ。
父も暗い海の方へ視線を向けたが、気にも留めず、優しく千早の肩を抱き寄せた。
「さあ、千早、美味しいものでも食べに行こう!
浜には人もたくさんいるんだ、どうせその辺で遊んでるんだろう」
三人は談笑しながら歩いていく。あんなにも仲睦まじい姿を見て、あの人たちこそが「本物の家族」なのだと思い知らされる。
彼らは海辺の料理店に入り、伊勢海老の刺身や貝の網焼きなど、贅沢な海鮮づくしの料理を次々と注文した。
食事をしながらの会話は、ひどく和やかだ。
「その魚の頭、捨てないで取っておきなさい。千尋の好物だから」
本当は、私は魚の頭なんて好きじゃない。ただ千早が嫌がって、いつも私の皿に押し付けてくるから食べていただけなのに。
父が苛立たしげに腕時計を見た。
「もう1時間以上経ったんだ。まだ上がってこないのか?食事の時くらい、さっさと戻ってくればいいものを」
千早が父の湯呑みに熱いお茶を注ぐ。
「お父さん、お母さん、お姉ちゃんきっと拗ねてるんだよ。
二人とも心配しないで、私が呼んでくる」
でも、私はもう死んでいるのに……
千早が小走りで店を出て行く。その背中を見送る両親の顔は、とても慈愛に満ちていた。
「やっぱり、うちの千早は気が利くいい子だ」
だがしばらくして、千早は顔を両手で覆い、泣きじゃくりながら戻ってきた。外にいるはずのない私に会ったかのように、見事な嘘を泣き顔に貼り付けて。
「お父さん!お母さん!早くお姉ちゃんを止めて!すっごく怒ってて、家出するって言ってるの……
それに……それにね……」
言葉を詰まらせ、大粒の涙をポロポロとこぼす千早。その顔は、まるで酷い目に遭わされたとでも言いたげだ。
母は慌てて立ち上がり、千早を胸に抱き寄せた。
「どうしたの、千早。千尋のバカが一体何をしたの?なんでこんなに泣いてるの?」
千早は母の胸に飛び込み、さらに声を上げて泣きじゃくる。
「ご飯食べに戻ろって言っただけなのに、お母さんたちは千早の味方ばっかりするって言って……私のこと、叩いたの!」
ガシャーンッ!!
激怒した父が、テーブルごとひっくり返した。皿が割れ、料理が床に飛び散る。
「あのクソガキ!一体どういう性根してやがるんだ!実の妹に手をあげるなんて、絶対に許さんぞ!
今すぐ見つけ出して、あの腕をへし折ってやる!」
第3話
父が立ち上がり、店の外へと足を踏み出す。その気迫に私は震え上がり、思わず壁際へと縮こまった。
父のあの言葉は、決して単なる脅しではない。
昔、千早がバドミントンのシャトルを木に引っ掛けた時、私が代わりに取りに登ったことがあった。その時、私が手を離した枝が勢いよく跳ね返り、運悪く下にいた千早の顔を少しかすめてしまったのだ。
すると千早は、「お姉ちゃんに枝で顔切られた!」と喉が裂けんばかりの声で泣き叫んだ。
父は私の言い分など一切聞かず、その木の枝をへし折ると、私の腕に何度も振り下ろした。その衝撃は凄まじく、私の腕はその場で骨折した。
骨の髄まで響くあの痛みの記憶が蘇り、私は思わず身をすくめてしまう。
だがすぐに我に返る。もう痛みを感じることはない。私はもう、死んでいるのだから……
父は海辺まで一目散に駆けていき、声を荒らげて私の名前を呼んだ。
「千尋!千尋!どこへ行きやがった!?さっさと出てこい!」
お父さん、私はここにいるのに。
「まだ隠れてるつもりか?家出だと?見つけ出したら、その両足をへし折ってやるからな!」
母も慌てて追いかけてくる。波はさらに荒れ狂い、空はどんよりと暗く、まるで嵐の前触れのようだ。
「もういいから、とりあえず探し出しましょ。大雨になりそうだし、本当に何かあったら……
千尋、隠れないで。そこにいるのは分かってるのよ!
戻ってきて千早に謝りなさい。そうすれば今回のことは水に流してあげるから!」
母は呼びかけ続けるが、当然ながら私からの返事はない。
次第に、その声に苛立ちが混じり始める。
「いい加減にしなさい、千尋!いつまで意地を張るつもり!
これ以上出てこないなら、外で野垂れ死のうが、私たちはもう知らないから!」
私だって、戻れるものなら戻りたい。
でも、もう二度と戻れないんだよ……
私が一向に姿を現さないのをいいことに、千早は横でさらに火に油を注ぐ。
「お姉ちゃんったら、どうしてあんなに意地っ張りでわがままなんだろう……
お父さん、お母さん、怒らないで。私、もう一度探してくるね」
彼女が歩き出そうとした瞬間、母がその手をガシッと掴んで引き止めた。
「あんなバカ娘、放っておきなさい。行くわよ。
家出したいなら勝手にすればいいわ。外で野垂れ死んだって自業自得よ」
大粒の雨が降り出した。両親は千早を雨から庇うようにして、足早にホテルへと戻っていく。
本来、私はここに存在しない。ただ宙を漂うだけの魂だ。
けれどその瞬間、私は確かに冷たい雨粒が体を通り抜け、心を粉々に打ち砕くのを感じたのだ。
雨は激しさを増し、世界ごと闇に引きずり込まれていく。
黒くうねる海面が、まるで巨大な怪物が牙を剥いて口を開けたように、私の存在を完全に呑み込んでいく気がした。
誰にも気づかれないまま、私はホテルの中を通り抜け、両親の部屋に入り込んだ。
母は、雨に濡れた千早の髪をタオルで優しく拭いている。
私も顔を近づけ、千早の体に重なるようにしてみる。
少しでいいから、彼女が受けているぬくもりを分けてほしかった。自分を騙してでもいいから、あの温かい母の愛を、せめて少しでも味わってみたかったのだ。
ふと、母の手の動きが止まる。
窓の外へと目をやったその眉間には、微かな心配の色が滲んでいる。
「千尋のやつ、まさか本当に何かあったんじゃ……」
母がまだ私を少しでも心配していると知り、千早の目に毒々しい嫉妬の色が走った。
「お姉ちゃん、同情を引く嘘泣きが得意だから。
この前だって、学校の不良たちの前でボロボロ泣きながら『千早にいじめられてる』って嘘をついて。そしたら不良たちが何人も寄ってたかって、私を路地裏に追い詰めて……
あいつら……私、私の服を無理やり脱がそうとして……!」
「なんですって!?」
母はガタッと立ち上がり、猛然と千早の肩を掴んだ。
「どうしてそんな大事なこと、お母さんに言わなかったの!?」
千早はしゃくりあげながら答える。
「だって……事を荒立てたくなかったの。お父さんやお母さんと、お姉ちゃんの仲を壊したくなくて……」
その言葉で、母の目に残っていた最後の一抹の心配も、怒りに呑み込まれて消えていく。
母は千早を優しく抱きしめ、その夜はもう二度と、私の名前を口にすることはなかった。
翌朝。彼らは外の騒がしい声で目を覚ました。
部屋を出てロビーへ向かうと、宿泊客たちが集まってざわついていた。
「聞いたか?浜に死体が上がったらしいぞ」
「ああ、溺死らしい。体中が真っ青にふやけてたって……」
死体?
その瞬間、母の心臓がドクンと嫌な音を立てた。
彼女はすがるように父の腕を掴む。
「ねえ、まさか……まさか千尋に何かあったんじゃ……?」
父は鋭い目で母を睨みつけた。
「あり得ん。あの悪知恵の働く小娘が、溺れ死ぬわけがなかろう!
どうせ死んだふりでもしてるんだろ。悪質な狂言だ!」
口ではそう吐き捨てながらも、彼らは野次馬たちの後を追って海辺へと向かった。
そして、幾重にも重なる人だかりの隙間から、彼らは見てしまったのだ。
海に突き落とされた時、私が着ていたあの紺色の水着を……