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狂った世界からの脱出、ママたちさようなら
父は攻略者だった。 彼は攻略に成功した後、この世界を去り、僕、神楽司(かぐら つかさ)に4人の母親を残していった。 1人目の母・美雨(みう)は、巨万の富を持つ大企業の社長。 2人目の母・佐津子(さつこ)は、誰もが知る国民的大女優。 3人目の母・珠緒(たまお)は、神懸かり的な腕を持つ名医。 4人目の母・祈(いのり)は、政府の要人だ。 4人の母は16年間、僕をこの上なく溺愛し、欲しいものは何でも与えてくれた。 だが3年前、彼女たちの昔の思い人の息子、沢城辰哉(さわしろ たつや)が戻ってきてから、すべてが変わった。 その日を境に、母たちはあいつの言うことしか信じなくなり、僕を疑うようになった。 あいつが「野良犬より汚いから、この家に住む資格がないって言われた」と嘘をつくと、母たちは僕を犬用のケージに閉じ込め、犬の餌を食わせた。 あいつが「学校で友達と一緒にいじめてきた」と言えば、母たちは僕を退学させ、チンピラを3人雇って家で3ヶ月間も僕に暴行を加えさせた。 そして辰哉がまたしても「突き飛ばされた」と嘘をついたことで、母たちは「反省しなさい」と3日3晩犬の餌すら与えないまま僕をケージに放置した。 餓死寸前になった時、父の声が聞こえた。 「司、父さんのところに戻りたいか?」
チャプター (1)
第1章
父は攻略者だった。
彼は攻略に成功した後、この世界を去り、僕、神楽司(かぐら つかさ)に4人の母親を残していった。
1人目の母・美雨(みう)は、巨万の富を持つ大企業の社長。
2人目の母・佐津子(さつこ)は、誰もが知る国民的大女優。
3人目の母・珠緒(たまお)は、神懸かり的な腕を持つ名医。
4人目の母・祈(いのり)は、政府の要人だ。
4人の母は16年間、僕をこの上なく溺愛し、欲しいものは何でも与えてくれた。
だが3年前、彼女たちの昔の思い人の息子、沢城辰哉(さわしろ たつや)が戻ってきてから、すべてが変わった。
その日を境に、母たちはあいつの言うことしか信じなくなり、僕を疑うようになった。
あいつが「野良犬より汚いから、この家に住む資格がないって言われた」と嘘をつくと、母たちは僕を犬用のケージに閉じ込め、犬の餌を食わせた。
あいつが「学校で友達と一緒にいじめてきた」と言えば、母たちは僕を退学させ、チンピラを3人雇って家で3ヶ月間も僕に暴行を加えさせた。
そして辰哉がまたしても「突き飛ばされた」と嘘をついたことで、母たちは「反省しなさい」と3日3晩犬の餌すら与えないまま僕をケージに放置した。
餓死寸前になった時、父の声が聞こえた。
「司、父さんのところに戻りたいか?」
第1話
僕は一瞬で目を覚ました。
そして、僕に話しかけているのは父ではなく、システムだということに気付いた。
システムが言うには、父はこの世界を去る時、僕に「特別な選択肢」を残してくれていたらしい。
もし僕が望むなら、父がいる世界へ行けるという。
もちろん行きたいに決まっている。
喉まで出かかったその言葉を僕は飲み込み、システムに尋ねた。
「父さんのところに行ったら、今よりマシな生活ができるのか?もし僕を愛しているなら、どうしてあの時一緒に連れて行ってくれなかったんだ?」
システムが教えてくれた。
当時、父がこの攻略ミッションを引き受け、この世界にやってきたのは、重い病気にかかっていたばあちゃんのためだったという。
向こうの世界での父はただの大学2年生で、ばあちゃんを救うために全財産を使い果たし、家には借金まであった。
無事にミッションをクリアし、元の世界に帰る際に、4人の母はどうしても父との繋がりとして僕をこの世界に残したいと、こう約束したらしい。
「司が私たち誰の子供であろうと、実の子として扱うから」
親の愛とは、子の将来を深く案じるものだ。
父は僕に苦労をさせたくない一心で、僕をこの世界に置いていったのだ。
「司」
システムは僕を慰めるような優しい声で語りかける。
「あなたのお父さんはずっと待っていたよ。恋人も作らず、結婚もせず、小さな家を買って、ずっとあなたを待っている。お父さんに会いに行きたい?」
僕は頷いた。
システムはほっとしたように、今、この体が死ねば、父に会えると告げた。
それを聞いて、僕は着ていた服を脱ぎ、ケージの鉄格子に結び目を作る。
テレビで見たことがある。そこに頭を突っ込んで、体重をかければ死ねるのだ。
幸い、このケージは十分に大きく、僕の背は低い。
頭を輪に通すと、すぐに首が締まり、強烈な窒息感が襲ってくる。
意識が次第に遠のいていく中、僕の心は喜びで満たされていた。
もうすぐ、父さんに会える。
だが、その喜びに浸る間もなく、誰かが僕の名前を呼ぶ声が聞こえた。
ケージが開けられ、僕は助け降ろされた。
再び呼吸ができるようになり、顔を上げると、慌てた様子の目と視線がぶつかる。
「美雨ママ」
その呼び方は、ほとんど無意識に口からこぼれ落ちる。
しかしすぐに、僕は少し後悔した。
なぜなら、美雨はその言葉を聞いた途端、目の奥の焦りを嫌悪感に変えたからだ。
「そう呼ばないで、あなたにはその資格がないわ」
美雨は、僕の1人目の母で、大企業の社長だ。
4人の中で、彼女が一番僕を可愛がってくれていた。
僕たちの目はよく似ている。
ここ数年、僕はずっと彼女の屋敷で暮らしていた。
僕が欲しいと言ったものは、何でも買ってくれた。
彼女は言っていた。「空の星だって、司が欲しいなら摘み取ってあげる」と。
しかし、そんな夢のような日々は3年前に終わりを告げた。
美雨が辰哉を海外から連れ帰ってきたのだ。
その時初めて知った。彼女たち4人には、僕の父以外にもう一人、かつて深く愛した男がいたことを。
当時、あの男は4人を裏切ることで大金を手に入れ、海外へ渡ったのだという。
そんな彼女たちの前に父が現れて救いの手を差し伸べ、裏切りの傷から少しずつ立ち直らせたのだ。
その後、海外で死の淵に立たされたあの男は美雨に電話をかけ、謝罪と共に辰哉を引き取ってほしいと懇願した。
辰哉と初めて会った時、母たちは「司はお兄ちゃんなんだから、譲ってあげなさい」と言った。
僕も確かに、あいつを弟として扱っていた。
だが最初から、辰哉は母たちの愛をすべて奪い取ろうとしていただろう。
あいつの体には傷が現れるようになり、「司に殴られた」と言いがかりをつけた。
突然階段から転げ落ちては、「司に突き飛ばされた」と嘘をついた。
あいつが嘘を重ねるにつれ、母たちは僕にどんどん失望していった。
そして決定打となったのは、辰哉が路地裏で十数人のチンピラに囲まれ、あわや殴り殺されかけたあの事件だ。
捕まったチンピラたちは皆、僕に指示されたと証言した。
僕は弁明する術を持たなかった。
その日から、僕はこの家の罪人となった。4人は、僕が彼女たちを「ママ」と呼ぶことを許さなくなった。僕は子供部屋から追い出され、犬のケージに移された。使用人たちも皆、僕を人殺し呼ばわりした。
殴られ、罵られ、食事を抜かれるのは日常茶飯事になった……
そこまで思い出し、僕は慌てて頭を下げて謝った。
「ごめんなさい、美雨マ……美雨さん」
それでも、美雨は容赦しなかった。
「司、一体何をするつもり?自殺の真似事?わざと私たちの気を引こうとしているのね。
馬鹿すぎるわ。こんな場所で自殺の芝居をするなんて。ここはこんなに臭いんだから、死体が腐ったって誰も気づかないわよ」
どうやら、僕が芝居をしていると思っているらしい。
僕は反論せず、ただ不思議に思って尋ねた。
「美雨さんは誰よりも綺麗好きなはずなのに、どうしてここに来たんですか?」
美雨は眉をひそめた。
「ここは私の家よ、どこへ行こうと私の勝手でしょ。ここに来たのはあなたに警告するためよ。今日は辰哉の誕生日だから、あの子に迷惑をかけないで。少なくとも、ここで死なれては困るのよ」
僕は大人しく頷いた。
彼女が僕を助けたのは、僕がこの家で死ぬと辰哉の気分を害するからだ。
なら、別の場所で死ねばいい。
美雨が立ち去った後、僕もこの家を後にした。
第2話
僕は劇薬を1本買い、父が昔住んでいた場所へと向かった。
父の写真を抱きしめてベッドに横たわり、劇薬を飲み込もうとした時、僕はふと手を止めた。
もしこのまま死んで見つかったら、きっと警察に迷惑をかけてしまう。
だから僕は、遺書を書くことにした。自殺したということを伝えるために。
劇薬の味は渋く、まるで烈火のように舌先から胃の奥まで焼き尽くしていく。
僕はすぐに意識を失った。
父さん、今行くよ!
どれくらい経っただろうか。胃液が激しく込み上げてくるのを感じた。
「オエッ……」と嘔吐し、その苦しさで目を覚ます。
見慣れない天井が目に入り、僕は狂喜して身を起こす。「父さん」と叫びかけた瞬間、珠緒の冷ややかな視線とぶつかる。
珠緒は白衣姿で僕の前に立っており、その手には僕の遺書が握られている。
彼女の指先は、力がこもっているせいか微かに震えている。
そして最後には、その遺書を僕の顔に叩きつけた。
「司、本当に大した度胸ね。死をちらつかせて私たちの気を引こうだなんて。
死ぬならもっと遠くで死になさいよ。どうしてあの場所を選んだの?あの人の部屋を汚したって分かってるの?」
珠緒に怒鳴られ、僕はどうしていいか分からなくなった。
実は4人の母の中で、僕が一番好きだったのは医者の珠緒だった。
彼女は医学の専門家で、東洋医学にも西洋医学にも精通している。
普段から僕に医学の知識を教えてくれたり、鍼灸のやり方まで教えてくれていた。
優しくてユーモアがあり、僕と一緒に過ごす時間が一番長かったのも彼女だ。
僕は一時期、彼女こそが本当の母親ではないかと思っていたほどだ。
辰哉が現れたばかりの頃でさえ、彼女は他の3人のように辰哉を過度に気にかけたりはせず、むしろ僕にこう言ってくれた。
「司は私にとってたった一人の息子よ。誰が現れようと、あなたの居場所がなくなることはないわ」
――その言葉を、僕は信じて疑わなかった。あの日、辰哉が皆の前で倒れるまでは。
珠緒は、あいつの後頭部から一本の鍼を抜いた。
彼女が辰哉に何があったのか問い詰めた時、辰哉は突然僕に向かって土下座をしたのだ。
「兄さん、ごめんなさい……!僕は告げ口なんてしていないよ、珠緒ママが自分で気づいただけなんだ。だから怒らないで……兄さんの気が済むなら、もう一度僕に鍼を打ってもいいから!」
僕が珠緒の怒る姿を見たのは、それが初めてだった。
彼女はひどく失望した顔で僕に言った。
「司、私があなたに教えたのは人を救うためであって、人を殺すためじゃないわ!」
僕が何を言っても、彼女は信じてくれなかった。
なぜなら、この家で彼女以外にその場所に鍼を刺せるのは、僕しかいなかったからだ。
「珠緒、少し落ち着きなさい」
ここで初めて、美雨も病室にいることに気づいた。彼女は暗い顔をしている。
「司はどうも精神的におかしくなっているみたいね。家で一度自殺未遂をして、今度はあの人の家で薬まで飲んだ。もしかしたら……」
珠緒は美雨の言葉を遮った。
「美雨、まさか同情してるの?この子がどれだけ芝居が上手いか、忘れたの?
こんなに贅沢な暮らしに浸りきっている子が、私たち4人から離れられるわけがないじゃない?どうせ今日は辰哉の誕生日だって分かってて、わざとこんな芝居をして気を引こうとしてるだけよ」
その言葉を聞いて、美雨の顔から疑念が次第に消えていく。
「あなたの言う通りね」
ちょうどその時、美雨のスマホが鳴った。
美雨はスマホを取り出し、画面をタップする。
「美雨ママ、珠緒ママ、いつ帰ってくるの?佐津子ママと祈ママはもう家で待ってるよ。
今日は僕の誕生日なんだから、早く帰ってきてくれないと怒るからね」
辰哉の甘えたような声が病室に響き渡る。
2人の顔が、同時に笑顔に変わった。
彼女たちは大切そうにスマホを持ち、通話越しに辰哉をあやしている。
その光景は、どこか見覚えがあった。
かつては、僕のこともあんな風に優しくあやしてくれていたのだ。
彼女たちの「愛」が変わったわけじゃない。ただ、その愛を注ぐ対象が、もう僕ではなくなっただけなのだ。
彼女たちが何度も「いい子だから」と語りかけるのを聞きながら、僕の心は完全に冷え切り、窓辺へとゆっくり移動する。
痛いのが怖いから、できるだけ苦しまない死に方ばかりを考えていた。
だが、もうこれ以上は待てない。
だから僕は、2人の目の前で窓枠を乗り越え、そのまま身を投げる。
さようなら!
僕の、ママたち。
第3話
想像していた痛みは訪れなかった。
外の木に引っかかったのだ。
助け降ろされた後、珠緒は青ざめた顔で近づいてくると、僕の頬を思い切り平手打ちした。
「いい加減にしなさい!」
美雨の顔色も最悪だった。彼女は全身を震わせながら歩み寄り、僕を蹴り飛ばした。
「あなた一体何がしたいの?」
僕は地面に倒れ込んだ。
胃洗浄をしたばかりの腹に蹴りを入れられたせいで、まるで刃物で刺され、力任せにかき回されているような激痛が走る。
胃の奥から血生臭いものが口へと込み上げてくる。
血を吐き出すと、僕は2人に向かって土下座をした。
「美雨さん、珠緒さん……僕のことはもう構わないで、死なせてください」
僕の言葉に、2人は一瞬だけ唖然とした表情を浮かべた。
やがて美雨が不快そうに眉をひそめた。
「また新しい手を思いついたの?死を盾にして脅すつもり?」
「違います」
僕は目を赤くして2人に訴えた。
「僕、父さんについていたシステムに会ったんです。僕が死ねば、父さんのところに行けるって……だからお願いです、もう放っておいてください。僕を死なせてください。
そうすれば、僕が辰哉と張り合うこともなくなるし、僕を警戒して家に閉じ込めておく必要もなくなるじゃないですか」
辰哉の事件の後、特殊部隊出身である4人目の母・祈は僕に残酷な罰を与えた。
僕を暗い部屋に5日5晩閉じ込め、強烈なライトの光を僕の目に当て続け、一睡もさせてくれなかった。少しでも眠気を催せば、アドレナリンを注射された。
5日後、そこから出された僕が真っ先にしたのは、4人に「家から出してほしい」と懇願することだった。
だが、彼女たちはそれを許さなかった。
「私たちの目の届く場所でさえあんな真似をしたのに、外に出したら辰哉に何をするか分かったものじゃないわ」
「その通りよ!あなたのお父さんに、あなたを立派に育て上げると約束したの!だから勝手に出て行くことは許さないわ!」
父の話を出したからだろうか。2人の険しかった顔色は少しだけ和らぎ、そこにはかつての僕が見慣れていた優しい面影すら微かに浮かんでいる。
「司、本当にあの人のシステムを見たの?それはいつ?」
美雨は僕を抱き起こしながらそう尋ねた。
僕は正直に、今日の朝、餓死寸前だった時に現れたのだと伝えた。
2人は顔を見合わせた後、珠緒が僕に言った。
「司、あなたは知らないかもしれないけれど、あの人がこの世界を去る時、『自分のシステムはミッションをクリアしたら消滅する』と言っていたの。だから、きっと幻覚を見たのよ」
僕は首を横に振った。
「違う、幻覚なんかじゃない。あれは本当に父さんのシステムだったんです。珠緒さん、もう構わないで……僕を死なせてください」
「死」という言葉に、珠緒の顔色が再びサッと険しくなった。
彼女は込み上げる苛立ちを必死に抑えようとしたが、結局こらえきれずに言い放った。
「それが幻覚かどうかは、あなたが決めることじゃないわ。腕のいい精神科医に診てもらうから」
そう言うと、彼女は昔のように僕の頭を撫で、そしてどこか複雑な表情を浮かべて口を開いた。
「実はね、この3年間のことで、私たち話し合っていたの。あなたが二度と辰哉の前に姿を現さないと約束するなら、もう罰を与えるのはやめようって……」
彼女が言い終わる前に、佐津子と祈が僕たちの前に姿を現した。
「美雨、珠緒!辰哉を見なかった!?」
美雨と珠緒は呆然とした。
「辰哉なら、さっきまであなたたちと一緒にいたじゃないの?」
佐津子はひどく焦っている。
「電話に出た後、いなくなっちゃったの。友達がプレゼントをくれるからって、取りに行ったんだけど……まさか……」
4人の母の顔から、同時にスッと血の気が引いた。
彼女たちの脳裏に、3年前の記憶が蘇ったのだ。あの時も辰哉の誕生日で、友達から電話で呼び出され、そのままチンピラたちに……
彼女たちは弾かれたように、一斉に僕へと鋭い視線を突き刺す。
その視線に射抜かれ、僕は恐怖で全身を震わせる。言葉を交わさずとも、彼女たちが何を疑っているかすぐに分かった。
「違う……僕じゃない……っ」
「あなた以外に誰がいるのよ!」
美雨が激昂し、狂ったように僕の胸ぐらを掴んだ。
「どうりで今日はやたらと死にたがるわけね。私たちの目を引くための陽動だったのね!辰哉をどこへやったの!」
僕は必死に首を振る。
「違う、本当に僕は何も……」
だが、怒りに我を忘れた美雨が僕の言葉に耳を貸すはずがない。
「司、ここまで来てまだ反省してないのね。そんなに死にたいなら、あの世へ送ってやるわ!」
彼女が僕に向かって手のひらを振り上げた、その瞬間――
祈が一歩前に出て彼女の腕をガシッと掴んで制止した。
「美雨、ここでは駄目よ。人目があるわ」
美雨は手を下ろし、僕をキッと睨みつけると、ドスを聞かせた低い声で命じた。
「この子をあの家へ連れて行きなさい」
車内の空気は息が詰まるほど重く、冷え切っている。
彼女たちは皆、辰哉を探すために血眼になって電話をかけ続けている。
僕は片隅に縮こまり、ただ震えている。
これからどんな嵐が待ち受けているのか、嫌でも分かっていたからだ。
やがて車が停まり、僕は力ずくで引きずり降ろされた。
目の前の建物を見た瞬間、僕はパニックに陥った。
そこは、かつて僕が監禁されていたあの恐ろしい場所だったからだ。
生理的な恐怖に膝から崩れ落ちた。
「辰哉の居場所なんて、本当に知らないんです!お願いだから、許してください!」
珠緒が冷酷極まりない表情で、僕の髪を思い切り掴んで顔を上げさせた。
「死にたかったんでしょ?長年親子としてやってきた情けよ。その願い、私たちが叶えてあげるわ」
全身の震えが止まらない。
確かに死にたいとは思っていた。でも、痛いのは怖いんだ。
しかし、ここまで連れてこられた以上、彼女たちが僕を無傷で帰すはずがない。
僕は抵抗する間もなく、ズルズルと建物の中へ引きずり込まれた。
中にはすでに、十数人の屈強な男たちが待ち構えていた。
祈は僕を床に投げ捨てると、眉をひそめ、深い失望と嫌悪が入り混じった顔で男たちに指示を出した。
「この子に、ちゃんと身の程を教え込んでちょうだい」
無数の無骨な手が、一斉に僕に向かって伸びてくる。
手足を力ずくで押さえつけられ、誰かが鋭い釘のようなものを僕の肉体に突き立てる感覚が走る。
全身の神経を焼き斬るような激痛。
僕は半狂乱になりながら助けを叫び続けた。
「ママッ……ママ……!」
男たちが決定的な一撃を加えようとした瞬間、珠緒がわずかに良心を痛めたのか、「待ちなさい」と制止の声を上げた。
彼女は僕を見下ろし、冷淡に告げた。
「司、辰哉をどこへやったか正直に白状するなら、あの人の顔に免じて今回だけは見逃してあげてもいいわ」
僕は必死に弁解した。
「知らない、本当に知らないんだ!僕は何もやってない!」
珠緒がまだ何か言おうとした時、祈が一歩前に出て彼女を引き止めた。
「珠緒、この子の本性をまだ分かってないの?痛い目を見せないと、絶対に口を割らないわ。この数年間、さんざん辰哉をいじめてきたくせに、一度だって認めたことがあった?」
珠緒の瞳の奥で、何かが揺らぐのが見えた。
しかし最後には、彼女は諦めたように手を振った。
「……やりなさい」
その一言で、僕の生き残る道は完全に絶たれた。
体に加えられる激痛が増していく中でも、僕はもう泣き叫ぶことをやめていた。
薄れゆく意識の中で、父の顔を見た気がした。
殴ればいい。好きにすればいい。
これで……本当に父さんに会えるんだ。
そんな惨状の傍らで、4人は依然として電話をかけ続けている。
やがてついに、見慣れた着信番号が美雨のスマホの画面に表示された。
「辰哉ッ!今どこにいるの!?」
通話をスピーカーに切り替えると、辰哉の呑気な声が部屋中に響き渡る。
「美雨ママ?今外で友達と一緒にご飯を食べてるんだよ。どうしてみんなからこんなに鬼電が来てるの?」
その言葉に、4人は一斉に呆気に取られた。
「……拉致、されたんじゃないの?」
辰哉は電話の向こうでクスリと笑った。
「何言ってるのさ、僕が拉致されるわけないじゃん。ごめん、友達が呼んでるから切るね。後で家に帰るから!」
時を同じくして、今度は執事から無事に辰哉を迎え入れたという報告の電話が入った。
その言葉を聞いて、彼女たちはようやく心の底から安堵の息を吐き出した。
「よかった……辰哉は無事だったのね」
珠緒がそう感慨深げに呟いた直後、何かを思い出したようにハッと目を見開いた。
「司ッ!」
彼女たちはようやく、僕の存在を思い出したのだ。
慌てて部屋にいる男たちに手を止めさせる。
彼女たちが僕のそばに駆け寄り、何度か声をかけたが、僕は微動だにしない。
「司、もう芝居は終わりよ。辰哉は見つかったわ」
「今回は、私たちが誤解してたってことでいいから」
美雨がしゃがみ込み、僕の体を揺さぶっても、やはり何の反応もない。
そこへ来てようやく、彼女はある異変に気がついた。
僕がとうの昔に、痛みを訴える声すら上げていなかったことに。
彼女の心臓がドクンと嫌な音を立て、恐る恐る震える指先を僕の鼻の下へと近づける。
だが残念なことに、僕はすでに息絶えていた。